2009年06月18日

飄々と生を描く戦争映画〜「真夏のオリオン」(篠原哲雄監督作品)

予告では「ローレライ」「イージス」に続く!という、派手で熱くて男くさい雰囲気を強く打ち出していた「真夏のオリオン」。確かに…というつくりではあるものの、個人的には、ふっと差し挟まれる、飄々(というか、とぼけた)やりとりが印象的な作品だった。何より、「食べ物がたまらなくおいしくみえる戦争映画」は、異色。記憶をたぐっても、同類の作品はなかなか浮かばない。
たしかに、食べ物が強烈な印象を残す戦争映画はたくさんある。けれども、それらはたいてい深刻かつ悲愴であり、忍び寄る死の影を予感させた(代表的なのが「火垂るの墓」のドロップ)。一方、「真夏のオリオン」の食べ物たちは、とてもおいしそうで心躍る。敵艦との応酬を目前にしながらも「食事にしましょう」と、カレーライスをたいらげ、おにぎりをほうばる。サイダーを回し飲みして渇きをいやす。ヒロインが、校庭をつぶして育てたトマトもつややかだ。主人公たちのわしわしとした勢いある食べっぷりは、「生きる」ことへの思いに繋がっている。彼らにとっては、食事は「最後の晩餐」ではなく、明日につながる糧であったに違いない。
そんな恵まれた人々は、ごくごく限られた存在であったかもしれない。けれども、彼らのような姿勢を持つ人達は、きっといたはず。ぼんやりとした日常では見失いがちな・見失ってはいけないものの発見に繋がる、声高でない分だけ心に残る作品だ。

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「真夏のオリオン」
監督:篠原哲雄
出演:玉木宏、北川景子、堂珍嘉邦、平岡祐太
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2009年06月10日

人を救うとはどういうことか〜I come with the rain(トラン・アン・ユン監督作品)

傷ついた者、救おうとする者、傷つける者。そんな三者三様の男たちが、すれ違い、ぶつかり合い、絡まり合う。
他者を救うことにのめりこむと、自分自身の痛みは見失われ、傷は深まるばかりだ。一方、自身を脅かすほどに深い傷は、痛みへの恐れを捨て他者を救うことで、癒える兆しを見出だす。…しかし、他者の痛みに無頓着な者は、傷つきも救われもせず、行き着く処がないままに、傷つき痛みを抱えた彼らの外側を、衛星のように動き続けるのみ。彼らとは、決して交わらないし、交われない。
そんな三者をつなぐのは、サム・リー演じる神を追い求め、金箔を道しるべにさ迷う男。クラインと友人の刑事が食事する屋台のテレビに、突然彼を報じるニュースが流れるのは、決して偶然ではない。彼の言葉、彼の沈黙が、三人の関係を明らかにする「鍵」となる。彼が去ったあとの、クラインとシタオの出会いは、余計なものを削ぎ落としつつも、雄弁で圧倒的だ。
水に潤いつやめく緑や、泥がぬめる質感は、「青いパパイヤの香り」「夏至」「シクロ」を彷彿とさせる。特に、得体の知れないものに動きをからめ捕られまいと、文字通りのたうちもがく彼らの姿は、「シクロ」の主人公たちに重なる。そして、むせ返るような息苦しさの連続と、その先にある静けさと安らぎも。
「パパイヤ」に魅せられ、「シクロ」に撃たれた者としては、うれしい回帰と言いたくなる本作品。たとえ、スター揃い踏みを強調したキャッチーで派手な宣伝とのギャップに戸惑い、ぶっきらぼうな(不親切な)語り口に屈したくなったとしても、ぜひ最後までスクリーンに向き合い続けてほしい。その先には、得難い(もしかしたら未知の)感覚が待っているのだから。
あの「ノルウェイの森」は、ユン監督の手にかかって一体どのように描かれるのだろう? 本作品を機に、過去の作品を見直したくなる。トラン・アン・ユン監督始動、を告げる作品だ。

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「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」
監督:トラン・アン・ユン
出演:ジョシュ・ハートネット、木村拓也、イ・ビョンホン、ショーン・ユー、サム・リー、トラン・ヌー・イエン・ケー
音楽:レディオヘッド
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2009年04月26日

愛されたいという思い〜「ミルク」(ガス・ヴァン・サント監督作品)

彼は、どんなに愛されたいひとだったか。
「ミルク」を観終えた直後、何よりそれを強く感じた。そしてそれは、ガス・ヴァン・サント監督が撮り続けてきたテーマであり、監督が映画を撮り続ける理由・原動力と重なるのではないか、とも思った。
ガス・ヴァン・サント監督作品、といって、まっさきに浮かぶのはどの作品だろうか。「グッド・ウィル・ハンティング」「マイ・プライベート・アイダホ」「エレファント」「ラストデイズ」「パラノイア・パーク」…ガス・ヴァン・サント監督の新作が封切られる、と聞くと、私はいつもそわそわする。期待と同時に、気合いというか覚悟も心に溜めなければと緊張する。そして…ほとんどの場合、打ちのめされたり、呆然としてしまう。けれども、観続けずにはいられない。どうしてだろう…なんていうもやもやを、「ミルク」はあっさり吹き飛ばしてくれた気がする。
「愛されたいなら、愛しなさい」という正しすぎる信条を持つ人には誤解されかねないが、ハーヴィ・ミルクは、決して自分本位な人間ではない。彼は、愛されたいという切実な気持ちゆえに、彼を慕い、頼る人を一人たりともほうっておけなかったのだ。ただただ、すべての人に、相手が望む深い愛を注ごうと心をくだいた。
いわゆる伝記ものは、「栄光と挫折」というフレームに、送り手・受け手双方から押し込められがちたが、ハーヴィーは違う。彼は、挫折などしていない。車いすの青年と電話をするシーンもさることながら、オペラ「トスカ」を鑑賞した夜に、別れた恋人・スコットと電話で語り合う滋味あふれるシーンが胸に迫る。
そして何より、この映画で印象的なのは、登場人物たちの笑顔のすばらしさだ。ショーン・ペンをはじめ存在感ある俳優陣に恵まれたこともあり、ひとりひとり、それぞれに生き生きとして、優しさに満ちている(特にジェームズ・フランコが演じたスコットの柔らかな表情!)。私は、「ミルク」に出会って以来、自宅かぎの定位置そばに、彼らの姿がちりばめられたちらしを置いている。外出の前後に目をやっては、彼らに元気と勇気をもらう。

cma

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「ミルク」
監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ダスティン・ランス・ブラック(アカデミー最優秀脚本賞)
出演:ショーン・ペン(アカデミー最優秀男優賞)、ジェームズ・フランコ、エミール・ハーシュ、ディエゴ・ルナ、ジョシュ・ブローリン
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2009年02月22日

時は流れ、水は満ちる〜「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

老いから若さへ。視覚的に時の流れを逆転させたことで、ささやかな人生の滋味が丹念に描き出され、美しく詩的な映画が生まれた。
見える・聞こえる・歩ける喜び。ぐんぐんと広がっていく世界への驚き。日頃あたりまえに思えることがいかに素晴らしいかが、一つひとつ示されていく。運命の人との出会い・すれ違い・再会…もしかり。そして、人生の幕引き。「老いて再び子どもに帰る」ことの一時的なかなしみとその後に訪れる穏やかさは、どんな言葉も必要とせず、不可思議な魅力に満ちていた。
ゆったりと時が流れ移ろう中、事件らしい事件は勃発しない。どちらかといえば、淡々とした出来事が積み重ねられるだけなのに、2時間47分があっという間に感じられた。
美しい回想パートと対照的に、語り部であるヒロインたちがいる現代は、時間感覚を奪うかのように薄暗く、激しい雨が降っている。そしてテレビニュースは、ハリケーンの接近を告げる。その意味が解き放たれるラストシーンには、ただただ圧倒されずにいられない。水は命の源であり、既存の世界を打ち壊しては新たにかたちづくる。時間も水も、「流れ」ゆくものなのだ。
軸となるベンジャミンとデイジーを演じた二人の素晴らしさは言うまでもないが、「泳ぐ人」ティルダ・スウィントンの存在も物語に深みを与えている。「オルランド」で時空を越え転生を繰り返す主人公を演じた彼女のキャスティングは絶妙だ。そして勿論、「雷に打たれる男」のエピソードも忘れ難い(^-^)

cma

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「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
監督:デビット・フィンチャー
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントン
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2009年02月20日

ありのままで、受け止める〜「ラースと、その彼女」

「心あたたまる」という表現がぴったりな、寒い冬の夜に観たくなる作品。
ひどく内向的な青年ラース。兄夫婦の心配や会社の同僚の淡い恋心にさえ背を向け、代わり映えのない毎日を過ごしている。そんな彼が、ある日突然、晴れやかに皆に紹介した「彼女」は、リアルドールのビアンカだった…。
ラースが彼女を選び、愛する理由、ラースと彼女に対する町の人たちのかかわり、そして双方にもたらされる変化など、そのひとつひとつに学術的な解釈は可能かもしれない。ラースにあたたかい目を向ける女医の言葉は、シンプルながら味わい深く、一見突飛な設定を身近な出来事として描いていくエピソードの連なりも素晴らしい。いずれも、観る者の謎解きゴコロを刺激する。
けれども私は、解釈・意味付け抜きで、物語をそのままそっくり・ありのまま受け止めるに留めておきたい気がした。…彼女はやって来て、みんなに変化をもたらした。それで十分だ。全体を通じて悪役が一人も出てこないところと、押し付けがましさゼロのストーリー運びも、とても好感が持てた。
キャストで特筆しておきたいのは、ラースの義姉を演じたエミリー・モーティマー。彼女といえば、「Dearフランキー」の働くお母さん、ウディ・アレン「マッチポイント」のお嬢様…。さまざまな役柄を自然にこなす、出しゃばらないのに印象に残る、素敵な俳優さんだ。今回も、生き生きとした動きと、柔らかな表情が魅力的だった。
あったかそうな手編みのセーターや帽子、色鮮やかなコートなど、作品を彩るファッションも、幸せ気分をかきたて、まねしたくなる。町の住人になったつもりで街を歩けば、きっと世界は違って見える。

cma
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「ラースと、その彼女」"LARS AND THE REAL GIRL"
監督:クレイグ・ギレスビー
脚本:ナンシー・オリバー
出演:ライアン・ゴスリング、エミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー、パトリシア・クラークソン
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2009年01月03日

2008年の映画たち〜私的年間ベストセレクション

20009年は、シネマスクエアとうきゅう「エグザイル(放逐)」で幕を開けました。トー監督、一生ついていきます!と新年早々決意しました(新作を観るたび、の半ば恒例行事f^_^;)。アンソニー&フランシスの絡みがたまりません。名前だけだと甘い香りが漂いますが…相変わらず(顔は)濃い、そして(佇まいは)渋い男たちです。

…閑話休題。定番ですが、昨年出会った映画たちを振り返ってみたいと思います。
文句なし!の傑作が生まれた2008年。PTAことポール・トーマス・アンダーソン監督の「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」は滑稽にして圧巻。黒沢清監督の「トウキョウソナタ」は、呆然と魂を抜かれた錯覚に陥る魅力と威力に満ちていました。時を経ても輝きを失わない(増していくであろう)傑作です。さらに、「接吻」「潜水服は蝶の夢を見る」、「つぐない」「宮廷画家ゴヤは見た」「この道は母へと続く」…なども忘れ難く、内田けんじ監督(「運命じゃない人」)のメジャーデビュー「アフタースクール」も、さすが!でした。
さらには、『思わぬ拾いもの』」度数高し!の「モンテーニュ通りのカフェ」「ヨコヅナ・マドンナ」。これだから映画館通いはやめられんなー、とほくほくさせてもらいました。スタッフ&キャストの今後にも要注目です。注目、と言えば、新しい才能による「BOY A」「かざあな(PFF'08入選作品)」。観る者の感情を揺さぶり放さない映画の暴力性・危険性を改めて感じました。映画、おそるべし!です。
…そして、橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」。
同時期に公開していた是枝裕和監督の「歩いても歩いても」とは対照的に、アラが目立つにもかかわらず、愛さずにはいられない、大切に思える作品でした(「歩いても歩いても」も、素晴らしい作品ですが…)。つき動かされるように、劇場へ2回観に行きました。きっと、またいつか、どこかの劇場でやってたら観に行くなあと思います。

こうやってみると、2008年は、いつになく良作がたくさん生まれた年かもしれません。けれども、その一方で、映画を愛し愛されたかけがえのない方々(俳優、監督、映画館主…)が、世界のあちこちでこの世を去りました。ささやかながら、感謝の気持ちを込めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

今年も、映画にとってよい年でありますように。

cma

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各作品については、過去のブログ記事をどうぞご覧下さいm(__)m
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2008年12月23日

映画、その危険きわまりないもの〜「かざあな」in PFF

巷の映画館でやっている映画より、ここでやってる映画の方がずーっとオモシロイ…!そんな力強い発言につき動かされ、今年もPFFこと「ぴあフィルムフェスティバル」をはしごした。そして、思いもかけない、思いもよらない作品との出会いを果たした。
それは、「かざあな」。ヌーベルバーグ?などと付されたチラシのキャプションに引かれ、軽い気持ちで選んだものの、そんな様子見気分はあっという間にふっとんだ。めためたに打ちのめされた。終映後、浮かされたような状態から回復するには、しばらくふらふらと街を歩き回らなければならなかった。
最高の友人同士だったはずの三人。ふとしたためらいや心の揺らぎから関係はもつれ、いつしか泥沼へと陥る。デートムービーにはなりようがなく、友達同士で見たとしても、場合によっては険悪になるかもしれない。…映画というものは、感情を根っこから揺さぶる。本来、そういう危険きわまりないものだったなあと、改めて思い知らされた。
久々にスクリーンで観た秋桜子(こすもすこ)。相変わらず年齢不詳で、低めの声が物語世界にふさわしい。そして、カラスの声、蝉の声、雑踏の音、風の音…さまざまな自然音が効果的に映画をかたちづくっているところも素晴らしく、感心させられた。
あまりに身近で陳腐になりかねないテーマとまっすぐに向き合い、最初から最後までぐいぐいひきつける威力はただならぬものがある。他の題材でも、ぜひ同監督作品を観てみたい。内田監督の今後が楽しみだ。
…と、はじめは回数券消化が目的だったものの、思わぬ収穫。さすがはPFF・ぴあフィルムフェス!

cma

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「かざあな」
監督;内田伸輝
ぴあフィルムフェスティバル2008審査員特別賞受賞作品
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2008年12月21日

映画セレブの一日(走り書きレポートにつき、乱文ご容赦のほどm(__)m)

思いがけず、日帰りで久しぶりに上京。仙台とはまた違った映画漬けの一日を味わった。
東京までのノンストップはやてで移動。いつもは高速バス専門なので、何となく背伸びした気分。しかし、到着近くなるとトイレや手洗いが混み合うのは、何となく概視感があった。
山手線で渋谷に移動して、名前が変わったばかりの元シネ・アミューズへ。縦ながの青から真四角の赤にはしご。「TOKYO JOE」に度肝を抜かれ(元捜査官の女性が、引退してもなおキリリとしていてかっこいい!)、「BOY A」に呆然とする。よくばらず、ぶれることなくテーマを一気に描ききる、甘さを排した語り口はさすがイギリス映画!ピーター・ミュランの「マイネーム・イズ・ジョー」や「Sweet16」などケン・ローチ作品を観直したくなる作品。同監督の「ダブリン上等!」は見逃したままなので、こちらもチェックしたくなった。
少し外の空気を吸った後、今の仙台にはない貴重な二本立て館・シネマラヴェィーラへ。今回の上京気分を盛り上げたきっかけであるアンソニー・ウォン特集は終わっていたものの、これまた要注目のロマンポルノ特集が展開されていた(ちなみに、今日はなんと三本立て!)。いつもながら、大盛況。客層は幅広く、年齢に加え、国籍も様々。前の席に座っていたふわふわ頭のおじさんは英字新聞を抱えており、満足げに帰っていった。昔、やくざ映画を見終えたお客たちは、みんな肩で風を切るように歩いていたという。ロマンポルノのお客たちは、何だか格闘技選手の入退場行進のように、寡黙ながら力強く歩いていた。人の多さもあって、何だか壮観だった。…で、今日いちばんびっくりしたのは矢野顕子の「あんたがたどこさ」の使われ方。「神代節炸裂!」というチラシ文に納得した。他の追随を許さない、ひょっとすると時代さえ追い付きようがない…かもしれない作品だった。
「天使のはらわた」を観終えると、外はすっかり夜。同シリーズの定番といえば、街の雑踏、冷え切った部屋にともる丸い石油ストーブ…奇しくも、冬の一日をしめくくるのにふさわしい。現実に戻るベく、私も雑踏に紛れ込んだ。
…ということで、今日は打ち止め。ずっしり重たいチラシの束をお土産に、帰路へ。この調子なら、スーパーで買い物も可能かも…と、セレブらしからぬ考えが浮かんでくるのだったf^_^;

cma
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2008年11月30日

韓国映画、ここにあり!〜「ヨコヅナ・マドンナ」

思いがけないひろいもの。これだから、映画はやめられない。
韓国映画には、他のアジア圏映画とは微妙に異なる、唯一無二のあじわいがある。最近の邦画にはない、体温を感じる人情劇。香港映画ほどに突っ走らない、はにかみを残したコミカルさ。「ヨコヅナ・マドンナ」は、そんな韓国映画らしさをぎゅっと凝縮した作品だ。観るほどに顔がほころび、ほくほくとうれしくなった。
マドンナに憧れ、歌と踊りが大好きで、化粧の練習に余念がない男の子。完璧な女の子になって憧れの先生(男性)に想いを告白するためなら、賞金狙いでシルム(韓国相撲)を始めることもいとわない…。そんな、ぱっとしないけれどいとおしい、我が道をすたすた行くドング。それから、ボクシングで若くして挫折を味わい、とことんまでやさぐれたお父さんに、メルヘンな衣装に身を包み、失った青春をたぐりよせるように型破りな独り身をつらぬくお母さん。さらには、いいかげんな部活の顧問と、「個性豊か」という形容ではくくりきれない部員たち。おまけに、「そこまでやるか!」な爽やか日本語教師(このキャスティングにはびっくり!懐深し!)。この映画に出て来る人たちは、みーんな変わり者だ。それでいて、どこか懐かしく、身近に思えてしまう。
こんな「役者」を揃えながら、全編116分間、華々しい成功も、決定的事件もなし。ただただ、人生というくねくね道をうろうろ・のろのろ、行きつ戻りつほっつき歩いていく姿が何ともいい。自分のことで精一杯、人とかかわってもろくなことがない、どうせ自分は誰にも理解されないはみ出し者。…多かれ少なかれ、そんな思いを抱えていた彼らに、いつしか変化が訪れる。ゆるゆると周りを見回し、ぎこちなく距離を縮めていく。とりつくろわず、素直に、まっすぐに。そんな彼らに、心の芯に滲みる、うわべだけじゃない、一歩踏み出すために必要な「ささやかだけれど確かな勇気」をもらえた気がした。
そして、何よりうれしくなったのは、ドングの最後の選択だ。うんうん、そうこなくっちゃ!と、かっこわるくてかっこいい彼の勇姿を、にんまりしながら目に焼き付けた。

韓国映画、あなどるべからず。「次」になにが躍り出てくるのか、今後も楽しみで仕方ない。

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「ヨコヅナ・マドンナ」
監督・脚本:イ・ヘヨン、イ・ヘジュン
出演:リュ・ドックァン(「トンマッコルへようこそ」)、
キム・ユンソク、イ・オン、ペク・ユンシク
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2008年10月22日

実はありふれた少女たちの物語〜「水の中のつぼみ」

何も起こらない映画だと憮然とするか、何ともドラマティックだと身ぶるいするか。シンクロを華麗に舞いつつも、沈まぬよう水中で必死に手足を動かす少女たちの象徴的なシーンさながらに、水面下で孤独なドラマが繰り広げられる。
自分を持て余している主人公・マリー、憧れの男子生徒に果敢にアプローチするマリーの友達・アンヌ、マリーが心を奪われた妖艶な美少女・フロリアーヌ。彼女たちは、一貫して孤独だ。どんなに相手に想いを募らせ、全身で向かっていっても、むなしくすれ違う。相手への想いの証として、目を覆いたくなるようなタブーを犯しても、肝心の相手に伝わらない。一方で彼女たちは、三者三様に、自分に接近してくる他者を容赦なく利用する。プライドを守るため、本命に近付くため、優越感にひたるため…。相手をもてあそぶことを楽しんでいるわけではない。彼女たちは必死なのだ。他者を思いやる余裕が持てないまま、立ち止まるのをおそれるかのように突き進む。
相手が接近してくる理由、自分の難題を受け入れる理由、そして自分が相手を利用している事実。そんな絡まりあった事柄を、多分、彼女たちは完全に把握できていない。だからこそ、双方にとってひどく残酷で、歯止めがきかない。彼女たちは、悪意を持ってタブーを重ねているのではない。ただただ切実に、所在ない自分を守り、からっぽの自分を満たしたいだけなのだ。
美しい映像とフランス語の響きというオブラートに包まれても、彼女たちの残酷さに変わりはない。しかし、こんなえげつないやり取りはフィクションだと思うなかれ。女子であれば、身に覚えがあるありふれた話に過ぎない。それらが妖しくも美しいと感じるのも、おどろおどろしいと驚愕するのも、彼女たちを無難な大人のモノサシで計って済ませようと目論む大人のあさはかさゆえ、だ。
観終えて暗澹たる気持ちになるか、「それで何か?」首をかしげて終わるか。丹念に描写を重ねたものの、一歩も踏み出さないままに物語をばっさり断ち切った点は、さすがに不全感が不全感は残る。余韻が語る、というには無理があるだろう。とはいえ、美しくもけだるいフランス映画の空気を満喫したい向きにはいち押しの作品だ。

(ついでに妄想:…二本立てするなら、やっぱりハケネの「ピアニスト」? それとも、水着つながりでオゾンの「スイミングプール」?)

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「水の中のつぼみ」(原題:「NAISSANCE DES PIEVRES 蛸の誕生」)
監督・脚本:セリーヌ・シアマ
出演:ポーリーヌ・アキュアール、アデル・ヘネル、ルイーズ・ブラシェール
posted by staff at 07:02| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする