2009年11月22日

Jクラ松本清張特集、+1(後編)

仙台文学館での特別企画と時を同じくして仙台フォーラムにて展開された「松本清張特集」。前編に続き、特に印象深かったのは「黒い画集−あるサラリーマンの証言」、橋本忍の脚本、そして現在大々的に公開中のプラスワン、ついてお送りします。
………
「黒い画集」は、同週に上映された「点と線」のSP的な位置付けと取られたきらいがありますが、実は貴重な作品でした。公開年のキネマ旬報ベストテン2位などになっているにもかかわらず、最近まで未DVD化だったとか(最近になって、生誕100周年記念でDVD化されたそうです)。こちらも、「張り込み」同様に謎解きを楽しむ犯罪ものという以上に、隣人の無罪を立証すべきか、自分の保身に徹するべきかでもがき苦しむ小者サラリーマン(小林桂樹、ぴったり!)の悲哀を描くことに力点が置かれています。とはいえ、息詰まるやり取りが重ねられる中で、時々暴走が…。若い愛人の浮気を勘繰るところや浮気が露見した結果を妄想するくだりの突っ走りっぷりなど、シリアスなシーンながら思わずクスリとしてしまいました。これも、橋本脚本のなせる技でしょうか。
橋本忍さんについては、これまで「砂の器」の巨匠、という恐れ多いイメージが強かったのですが、今回の特集上映で茶目っ気というか、可笑しさをためらいなく投入する人、というイメージが加わりました。(あの「幻の湖」は、生まれるべくして生まれた迷作なのかもしれません。)
今回のような重いテーマを扱っている中で、唐突に折り込まれる笑いは、観客の緊張を適度に緩めてくれます。そして、クスリとしながらも、人間の滑稽さや哀しさに気持ちが向かい、人事、他人事と割り切れないほろ苦さが残ります。当事者にとっては笑えるどころか深刻すぎる状況を、自分は本当に笑い飛ばせるのか…。笑える側にいるどころか、自分も見えない闇に足を踏み入れてるのではないか?むしろ、主人公の方がずっと懸命に苦境に立ち向っていて、自分は何かごまかしてないか?…いつしか心がざわめき立ちます。可笑しさには、そんな効果があるのかなと感じました。


…そして、プラスワンの「ゼロの焦点」。少々言いづらいのですが、個人的には、「ええっ!?」でした。
何より、広末涼子のモノローグが余計でした。あの役、例えば(犬童監督作品出演経験のある)池脇千鶴、そうでなければ宮崎あおい辺りだったら違うよなあ…という気が。西島秀俊も好きな俳優なのですが、今回は…。浅野忠信あたりだったらまた違うかなあ…。等と妄想しました。エンディングについても、中島みゆきより井上陽水かも…とか。
そんな中、なぜか、脇の本田博太郎や、モロさん演じる刑事のワケあり感が、やたら印象に残っています。(それから、いつもどおりサラっと流れて画面中央に鎮座しない、エンドロールの監督名には「らしさ」を感じてほっとしました。ごく個人的な感想(思い込み)ですが…。)
原作は読んでいないので偏見かもしれませんが、物語の筋にも少々無理を感じました。東京から金沢に舞台が移るのは偶然なのか相応の背景があるのか…等など。とはいえ、さすがに筋書きを変えたりしていませんよね…。

ある意味、(そのつもりで観た)「笑う警官」よりショックでした。

cma
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Jクラ松本清張特集、+1(前編)

仙台文学館での特別企画と時を同じくして仙台フォーラムにて展開された「松本清張特集」。以前観たことのある「鬼畜」「天城越え」を除く4本を観ました。「疑惑」の桃井かおり×岩下志麻+豪華証人陣(特に山田五十鈴と三木のり平!)も見応えがありましたが、特に印象深かったのは「張り込み」「黒い画集−あるサラリーマンの証言」の橋本忍脚本による2作品でした。
「張り込み」は、タイトルからの予想を裏切る味わいで、犯罪ものというより、メロドラマ。高峰秀子が駆け落ち的に温泉に行くせいか、成瀬巳喜男作品での加山雄三の「ねえさん、ぼかあ、ねえさんが好きなんだ…」が思い出されました。
以後はネタバレになってしまいますが、主人公の若い刑事(大木実)は、人妻になった高峰秀子と犯人(田村高広)の悲恋を目の当たりにし、迷っていた自らの結婚を決めます。仕事と私生活の兼ね合いに悩むところ等、なんか、現代の男女にも通じるものがありました。…と、ここまでは「砂の器」脚本の橋本忍らしい格調高さなのですが、御愛嬌なおまけが。決意後、護送する道すがら、大木さんと来たら、うなだれる犯人に「君の未来はこれからだよ」などと散々言うのです。いくらなんでもデリカシーないだろう!舞い上がりすぎだよ!とつっこみたくなりました。しかも、犯人・田村さんは胸患いっぽい咳を連発しているというのに…。ちなみに、前段で犯人の足取りを追い刑事二人が「血銀」に行く、というくだりがあります。係員の「血を売るどころか貰う方だったよ」というせりふから、彼がかなり不健康らしいとわかったはず。それなのに…大木さんときたら…(-.-;)。これは蛇足ですが、この採血所、一見どのような場所何なのか思い当たりませんでした。職場の診療所?などと思ったのですが、生活苦のあげくに血を売るところだったのです…。エンドロールで「血銀の
男」と
いう役名があり、そんな言葉が通用してたんだ!と、びっくりしました。


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と、取り留めなく書いたら、いつの間にかだいぶ長くなってしまいました。「黒い画集」とプラスワン、については次回に…m(__)m

cma
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2009年11月18日

PFFin仙台

PFF=ぴあフィルムフェスティバル。様々な監督を生み出した自主映画のお祭り。…この季節になると、せんだいメディアテークには映画好きがいそいそと集まり、未知の作品と向き合います。そんな期待と驚きに満ちた空気が好きで、PFFに足を運ぶのは、秋の恒例行事です。今年も回数券を駆使して約半分のプログラムを観ましたが…つくづく、密度の濃い(体力の要る)三日間でした。

個人的なベストは、グランプリ作品でもある「一秒の温度」(井上真行監督)です。肩に余計な力が入っておらず、いつも自分が見聞きしている世界に足を着けつつ、言いたいことをちゃんと伝えようとしているところに好感を持ちました。トークでも触れられていましたが、「リアルおとうさん&おかあさん」とみまごう脇役さんたちも味があり、印象に残りました。自主制作は、自宅などスタッフの生活空間で撮影していると想像しますが、あの生活感は、商業映画はどうしたって出せないよなあと思います。自主の強みです。
続いて、「夢の島」(蔦哲一朗監督)、「かたすみで、ヤッホウ」(松村真吾監督)。「夢の島」は、自家現像によるシネスコ&モノクロ作品。ざらついたモノクロ画面に、パソコンが映り込んでいるのが新鮮でした。ジブリがお好きというのがうなずける、暴力性とイノセンスが同居する作品でした。やりたいことをやりつくした作品とトークでお話しされていましたが、ぜひ・だからこそ、「次の一本」も観たいです。
そして、「かたすみで、ヤッホウ」。息詰まるというより息苦しく、痛々しいほどの緊迫感がありました。どんなエンディングに帰着するのか、はらはらしながら観続けて…何とか、ほっとしました。

さて…。今回のPFFで、ちょっと気になった点があります。あくまで私見ですが、必然性を感じられない暴力描写が多分に含まれた気になる作品が目立ちました。PFF開催中の三日間で、一体何人が(映画の中で)死んだんだ?と反芻してしまいました。物語の中から存在を消したいならば、あっさり殺さず、失踪とかでもいいんじゃないか?と思うことがありました。暴力的な死は、パソコンを強制終了するようで、本来あるべき不在の重みや余韻に欠ける気がします。死はもっと重く、血が流れるのはもっと痛くて汚なくて、面倒くさくて大変なことです。
そんな中、「一秒の温度」は特に光りました(…これも死人は出ていますが。)。プレミアのスカラシップ作品「川の底からこんにちは」も、息苦しい始まりからだんだん物語が転がっていき、登場人物たちが愛すべき存在になっていく運びがよかったです。たたみこむ独特なテンポのセリフ回しにも笑わせてもらいました。来年、どんなパッケージ(ポスター、ちらし、予告…)で公開されるのか、想像するのも楽しみです。
自主制作は、商業映画よりいろいろ話したい・聴きたい気分になります。まさに、映画のお祭り。来年の新たな出会いや、今回出会った監督さんたちのこれからに、期待がふくらみます。

取り留めありませんが、速報レポートでした。

cma

〜〜〜
第32回ぴあフィルムフェスティバルは、ただいま応募作品受け付け中!
http://pff.jp
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2009年11月08日

帰ってきた覆面上映

開演前のBGMからも、上映作品について妄想を膨らませてしまうセントラル劇場名物・覆面上映。タイトルはもちろん、キャスト・スタッフ・製作年・ジャンルさえ事前告知は一切なし、問い合わせも「R指定か否か」だけには応じる、というガードの固い企画です。アクション、任侠、オカルト…と縦横無尽にセレクトされた作品に出会ってきましたが、今回の作品は(個人的には)「…あ、こういうのもやるんだ。」でした。
ふと思いだしたのは、以前に池袋の文芸坐で観たオールナイト。ワハハ本舗の俳優さんがプロデュースで、「なぜか…こうなっちゃいました」という、前評判はかなり高かった作品を「どうしたら、こうならなかったんだろう?」と考えながら観る、という企画でしたf^_^;。三本のうち、なぜか、唯一未見じゃなかった「カタクリ家の幸福(三池崇監督)」だけが記憶に残っています。韓国映画「クワイエット・ファミリー」をリメイクしたミュージカル仕立てコメディーで、キヨシローさんがクヒオ大佐みたいなキャラクターで出演していました。
……
話しを戻しまして、今回の覆面上映。ワイズ出版第一回作品にして、つげ忠男原作、石井輝男監督作品。つげ×石井、この二人を組み合せが、そもそも相性が芳しくなかったのかも…。
とはいえ、佐野史郎演じるつげ氏をめぐるエピソードは秀逸です。訳ありな子連れ人妻に振り回され、あげくはおかしな忘れ物が…。忘れ物を持て余したつげ氏はサラっと大胆な行動に出ますが、これ、神代辰巳監督「赫い髪の女」の女の行動を引用したものかもしれません。
…何はともあれ、あのつげ氏の姿がラストシーンだったら、けっこういいと思うんだよなー。主役はあの二人であって、この二人じゃないよなー。などとぐずぐず思ってしまうのは、仙台短篇映画祭スタッフのはしくれゆえでしょうか…。
とはいえ、今回は本当に・そしてタイムリー?な「お蔵入り」作品でした。

cma

〜〜〜
「覆面上映」は、桜井薬局セントラルホール公式ページ上の「過去のレイトショー作品」でも作品名が掲載されていません。そこで、本ブログにおきましても、作品名の明記は避けましたので、ご理解下さいm(._.)m
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2009年10月24日

砂まみれの恋愛模様〜「3時10分、決断のとき」

「3時10分、決断のとき」は、掛値なしの良作だ。(冒頭の日本語タイトル背景に、主役二人のアップがどーんと並んだのには一瞬たじろいだ。が、映画本編を観て納得した。往年の映画館の手書き看板のような味わい…。)ずしっと手応え・見応えがある。口の中はざらざら、手は真っ白になりそうな砂ぼこり。大地を揺るがす馬のひずめの音、そして銃声。
…とにかく、男臭い。全てが、かっこいい。このところデスクワーク体質が定着していたラッセル・クロウ=ベンも、シャープに動き、撃ちまくる。苦悩するヒーローを体現し続けるクリスチャン・ベイル=ダンは、言うまでもなく渋く、寡黙で、秘めたものをじわじわと滲ませる。加えて、老いぼれても気骨を失わないガンマン、損得勘定優先の保安官、善と悪の間で揺れる保安官、思春期真っ只中の息子…と、ツボを抑えた脇役たちもそれぞれに魅力的だが、何と言っても目が離せなかったのは、窃盗団のナンバー・ツーだ。
彼は、とにかくボスであるベンに忠実で、いじらしいほどにベンに尽くす。…それはあたかも、恋い焦がれた者への情熱のように。やくざ映画など男性社会を描いた作品には、ホモセクシュアリティの要素が多分に含まれているとの指摘はよくなされるが、この作品は、特に危険な香りに満ちている。華奢で八重歯、少々なよっとした風貌で、捨て猫のように上目遣いめな視線をベンに向けるところなど、恋愛感情丸出しに思えてぞくっとした。ついつい、「おいおい、ばれたらどうする?!」と余計な心配までしてしまうほど。
挫折経験を経て憂いを漂わせるダンならば、彼の想いを察し、共に苦悩してくれるかもしれない。しかし、腕っ節は強いが相手の気持ちに無頓着で、直情的に女性を誘いまくるベンでは、どうにも伝わりそうにない。万が一、部下である彼の想いがボスであるベンに伝われば、明らかに破綻のリスクが高すぎる…。
彼がベンに忠実であろうと冷酷な暴挙を重ねるほど、それはダンへの嫉妬に思え、後戻りできない道を進んでいく彼から目が離せず、はらはらした。そして、クライマックスの三つ巴の対峙。先は見えていたとは言え、叶わぬ片思いは、せつない。
骨太な本作は、シネスコープ画面を存分に味わえる映画館のスクリーンがふさわしい。「今」を見事に切り取り、普遍的なテーマをきっちり描いた、みずみずしい西部劇の誕生を祝うためにも。

〜〜〜
「3時10分、決断のとき」;3:10 to Uma

監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベイル、ピーター・フォンダ、
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2009年10月19日

それぞれの、家族〜「私の中のあなた」

これは、ちまたに溢れる「泣ける映画」とは一線を画す「心にしみる映画」だ。観終えたとき、身体にじんわりと熱が広がっていく。そんな気がした。
(ちなみに、数日後に山形で観た「あんにょん由美香」も似た肌ざわりがあり、私のなかでこの二本は入り交じりつつある。)
両親を相手に、難病を患う姉のドナー役を拒否する訴訟を起こす主人公・アナの一人称で語られる映画か、と思いきや、続いて家族それぞれの語りとなり、ゆるやかに広がりが生まれる。彼らは決して能弁ではないが、映像が、一人ひとりの抱えた物語を豊かに語る。
たとえば、父親は消防士だ。勤務時間が変則的で危険がつきまとうこの仕事は、移民であったアイルランド系が就く場合が多いとされている。ハイソな実家と距離を置き、贅沢とは縁遠い生活の中で難病を抱えた子を育ててきた重みを想像せずにいられない。長男である兄も然り。帰宅し、出迎える人のいないひんやりしたキッチンを一瞥すると、再び夜の町を漂い出てしまう。そして、この物語の軸となる姉妹。底抜けに明るい家族団欒の情景を通して、妹アナの周囲から十分に関心を持たれないさみしさと、姉ケイトの関心を持たれなければ生きていけないつらさが、さりげなく描き出される。
彼ら家族の中心にいるのが、気丈な母親だ。娘を難病に奪われまいと、あらゆる手段に可能性を賭け、突き進む。彼女は、家族それぞれに関心を向け切れないもどかしさからは背を向け、前進を続けてきた。一度迷い立ち止まれば、歩き出せなくなることを自覚し、ひそかに恐れ怯えているのかもしれない。
ひどい難所を乗り越えるには、強引なくらいの牽引役が必要だ。しかし、それでも乗り越えようがないとき、誰が見切りを付けるのか。牽引役をあくまで労い、極力傷つけないようにして「もう、いい」と肩を叩くには、どうすればよいのだろう?

妹アナが起こした突然の行動と、姉ケイトの病状悪化のはざまで、母親は動揺せずにいられない。ヒステリックにもなる。しかし、病床のケイトの視点から、窓ガラス越しに(無声の状態で)荒れる母親を捉えることで、娘の孤独と、母の怒りの底にあるもどかしさや無力感が滲み出る。加えて、終盤の母娘の語らいが、子を留め置けない母親の深い悲しみを引き出す。いつしか、ふたりを捉える視点は天上のものとなり、ひとつの終着を暗示する。
そして、新たなはじまり。他人の集まりであり、当然ばらばらな家族は、誰かが結び束ねなければいけない。そう信じた母親が精力を注いできた役割に、新たな担い手が現れる。併せて、彼らの繋がり方も変化するが、結びつきは揺らがない。さらなる深まりを予感させ、物語は幕を閉じる。
これは、特殊な家族の物語ではない。どこか身につまされ、いつしか日常が輝く。そんな、映画の魔法をきちんと持ち得た貴重な佳作だ。

〜〜〜
「私のなかのあなた」;My Sister's Keeper
監督:ニック・カサヴェテス
出演:キャメロン・ディアス、アビゲイル・ブレスリン
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2009年07月28日

ありがとう、そしてさようなら

この夏、チネ・ラヴィータは引越しをする。
現在のチネ・ラヴィータは7月末にいったんおしまい。一週間のお休み後、8月8日より仙台駅東口直結・BiViにてリニューアルオープン!

現在のチネ・ラヴィータは、「シネアート」の頃から、ずーっとお世話になっている。何の映画をやっているか以前に、映画館として大好きな場所だ。
映画にまつわる思い出は、なぜか冬が多い。雪を踏み分けて観に行った「Love Lette」は、岩井俊二監督作品との初めての出会い。「リトル・ダンサー」を観たのも、寒い年末の夜だった。
けれども、チネ・ラヴィータ(シネアート)という場所の思い出は、初夏から秋にかけてが多い。ロビーの窓から眺める風景が、いつもいつも楽しみだった。決して大きくはない窓が、街路樹の枝越しに切り取る、街のひとこま。映写機の小さなレンズが壮大な物語を映し出すように、小さな窓が世の中を捉え、映し出す。窓から覗く風景は、日常なのにどこか新鮮で、いとしく思えた。


そんな現チネ・ラヴィータでの最後の作品となったのは、ギヨーム・ドパデルューの遺作「ベルサイユの子」。名優の子としてスタートし、スキャンダルに事欠かなかった二十代から、足を切断し致命的と囁かれた事故を乗り越え、「ランジェ公爵夫人」で抑制のきいた演技を見せたギヨーム。彼の新作がもう観られないのは、本当に悲しく、残念でならない。
行きずりの路上生活者ニーナが遺していった幼いエンゾを見捨てられず、エンゾとの生活を模索し始めた、元薬物依存者で世捨て人のダミアン。そんな彼が、突然なぜ去ったのか。
…社会に溶け込み暮らすための頑張りが続かなかったとか、育て続ける自信がなかったとか。社会は厳しいし、彼は強くなかった。そんなふうに考えるのが現実的なのかもしれない。けれども、これは、映画の世界。現実にとらわれず、私は、ただ彼の潔さに感服し、胸を締め付けられたい。そして、映画の世界こそ、人生の真実を活写するということを、改めて感じ入りたい。
鍵は、「エンゾ、お前は、天から授かった美しい女の膝の上にいるんだ。ずっとそこにいるがいい…」という、祝福の言葉にあるように思う。エンゾに深い愛情を注ぎながらも、跡形もなく存在を消し去った彼。そこには、エンゾだけではなく、母であるニーナをも包み込む愛情がある。はみ出し者の彼が貫いた、無償の愛の重みと残酷さから、決して目を背けてはならない。

cuma

〜〜〜
「ベルサイユの子」
監督・脚本:ピエール・ショレール
出演:ギヨーム・ドパデルュー、マックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴ
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2009年06月18日

飄々と生を描く戦争映画〜「真夏のオリオン」(篠原哲雄監督作品)

予告では「ローレライ」「イージス」に続く!という、派手で熱くて男くさい雰囲気を強く打ち出していた「真夏のオリオン」。確かに…というつくりではあるものの、個人的には、ふっと差し挟まれる、飄々(というか、とぼけた)やりとりが印象的な作品だった。何より、「食べ物がたまらなくおいしくみえる戦争映画」は、異色。記憶をたぐっても、同類の作品はなかなか浮かばない。
たしかに、食べ物が強烈な印象を残す戦争映画はたくさんある。けれども、それらはたいてい深刻かつ悲愴であり、忍び寄る死の影を予感させた(代表的なのが「火垂るの墓」のドロップ)。一方、「真夏のオリオン」の食べ物たちは、とてもおいしそうで心躍る。敵艦との応酬を目前にしながらも「食事にしましょう」と、カレーライスをたいらげ、おにぎりをほうばる。サイダーを回し飲みして渇きをいやす。ヒロインが、校庭をつぶして育てたトマトもつややかだ。主人公たちのわしわしとした勢いある食べっぷりは、「生きる」ことへの思いに繋がっている。彼らにとっては、食事は「最後の晩餐」ではなく、明日につながる糧であったに違いない。
そんな恵まれた人々は、ごくごく限られた存在であったかもしれない。けれども、彼らのような姿勢を持つ人達は、きっといたはず。ぼんやりとした日常では見失いがちな・見失ってはいけないものの発見に繋がる、声高でない分だけ心に残る作品だ。

〜〜〜
「真夏のオリオン」
監督:篠原哲雄
出演:玉木宏、北川景子、堂珍嘉邦、平岡祐太
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2009年06月10日

人を救うとはどういうことか〜I come with the rain(トラン・アン・ユン監督作品)

傷ついた者、救おうとする者、傷つける者。そんな三者三様の男たちが、すれ違い、ぶつかり合い、絡まり合う。
他者を救うことにのめりこむと、自分自身の痛みは見失われ、傷は深まるばかりだ。一方、自身を脅かすほどに深い傷は、痛みへの恐れを捨て他者を救うことで、癒える兆しを見出だす。…しかし、他者の痛みに無頓着な者は、傷つきも救われもせず、行き着く処がないままに、傷つき痛みを抱えた彼らの外側を、衛星のように動き続けるのみ。彼らとは、決して交わらないし、交われない。
そんな三者をつなぐのは、サム・リー演じる神を追い求め、金箔を道しるべにさ迷う男。クラインと友人の刑事が食事する屋台のテレビに、突然彼を報じるニュースが流れるのは、決して偶然ではない。彼の言葉、彼の沈黙が、三人の関係を明らかにする「鍵」となる。彼が去ったあとの、クラインとシタオの出会いは、余計なものを削ぎ落としつつも、雄弁で圧倒的だ。
水に潤いつやめく緑や、泥がぬめる質感は、「青いパパイヤの香り」「夏至」「シクロ」を彷彿とさせる。特に、得体の知れないものに動きをからめ捕られまいと、文字通りのたうちもがく彼らの姿は、「シクロ」の主人公たちに重なる。そして、むせ返るような息苦しさの連続と、その先にある静けさと安らぎも。
「パパイヤ」に魅せられ、「シクロ」に撃たれた者としては、うれしい回帰と言いたくなる本作品。たとえ、スター揃い踏みを強調したキャッチーで派手な宣伝とのギャップに戸惑い、ぶっきらぼうな(不親切な)語り口に屈したくなったとしても、ぜひ最後までスクリーンに向き合い続けてほしい。その先には、得難い(もしかしたら未知の)感覚が待っているのだから。
あの「ノルウェイの森」は、ユン監督の手にかかって一体どのように描かれるのだろう? 本作品を機に、過去の作品を見直したくなる。トラン・アン・ユン監督始動、を告げる作品だ。

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「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」
監督:トラン・アン・ユン
出演:ジョシュ・ハートネット、木村拓也、イ・ビョンホン、ショーン・ユー、サム・リー、トラン・ヌー・イエン・ケー
音楽:レディオヘッド
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2009年04月26日

愛されたいという思い〜「ミルク」(ガス・ヴァン・サント監督作品)

彼は、どんなに愛されたいひとだったか。
「ミルク」を観終えた直後、何よりそれを強く感じた。そしてそれは、ガス・ヴァン・サント監督が撮り続けてきたテーマであり、監督が映画を撮り続ける理由・原動力と重なるのではないか、とも思った。
ガス・ヴァン・サント監督作品、といって、まっさきに浮かぶのはどの作品だろうか。「グッド・ウィル・ハンティング」「マイ・プライベート・アイダホ」「エレファント」「ラストデイズ」「パラノイア・パーク」…ガス・ヴァン・サント監督の新作が封切られる、と聞くと、私はいつもそわそわする。期待と同時に、気合いというか覚悟も心に溜めなければと緊張する。そして…ほとんどの場合、打ちのめされたり、呆然としてしまう。けれども、観続けずにはいられない。どうしてだろう…なんていうもやもやを、「ミルク」はあっさり吹き飛ばしてくれた気がする。
「愛されたいなら、愛しなさい」という正しすぎる信条を持つ人には誤解されかねないが、ハーヴィ・ミルクは、決して自分本位な人間ではない。彼は、愛されたいという切実な気持ちゆえに、彼を慕い、頼る人を一人たりともほうっておけなかったのだ。ただただ、すべての人に、相手が望む深い愛を注ごうと心をくだいた。
いわゆる伝記ものは、「栄光と挫折」というフレームに、送り手・受け手双方から押し込められがちたが、ハーヴィーは違う。彼は、挫折などしていない。車いすの青年と電話をするシーンもさることながら、オペラ「トスカ」を鑑賞した夜に、別れた恋人・スコットと電話で語り合う滋味あふれるシーンが胸に迫る。
そして何より、この映画で印象的なのは、登場人物たちの笑顔のすばらしさだ。ショーン・ペンをはじめ存在感ある俳優陣に恵まれたこともあり、ひとりひとり、それぞれに生き生きとして、優しさに満ちている(特にジェームズ・フランコが演じたスコットの柔らかな表情!)。私は、「ミルク」に出会って以来、自宅かぎの定位置そばに、彼らの姿がちりばめられたちらしを置いている。外出の前後に目をやっては、彼らに元気と勇気をもらう。

cma

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「ミルク」
監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ダスティン・ランス・ブラック(アカデミー最優秀脚本賞)
出演:ショーン・ペン(アカデミー最優秀男優賞)、ジェームズ・フランコ、エミール・ハーシュ、ディエゴ・ルナ、ジョシュ・ブローリン
posted by staff at 13:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする