2008年10月22日

実はありふれた少女たちの物語〜「水の中のつぼみ」

何も起こらない映画だと憮然とするか、何ともドラマティックだと身ぶるいするか。シンクロを華麗に舞いつつも、沈まぬよう水中で必死に手足を動かす少女たちの象徴的なシーンさながらに、水面下で孤独なドラマが繰り広げられる。
自分を持て余している主人公・マリー、憧れの男子生徒に果敢にアプローチするマリーの友達・アンヌ、マリーが心を奪われた妖艶な美少女・フロリアーヌ。彼女たちは、一貫して孤独だ。どんなに相手に想いを募らせ、全身で向かっていっても、むなしくすれ違う。相手への想いの証として、目を覆いたくなるようなタブーを犯しても、肝心の相手に伝わらない。一方で彼女たちは、三者三様に、自分に接近してくる他者を容赦なく利用する。プライドを守るため、本命に近付くため、優越感にひたるため…。相手をもてあそぶことを楽しんでいるわけではない。彼女たちは必死なのだ。他者を思いやる余裕が持てないまま、立ち止まるのをおそれるかのように突き進む。
相手が接近してくる理由、自分の難題を受け入れる理由、そして自分が相手を利用している事実。そんな絡まりあった事柄を、多分、彼女たちは完全に把握できていない。だからこそ、双方にとってひどく残酷で、歯止めがきかない。彼女たちは、悪意を持ってタブーを重ねているのではない。ただただ切実に、所在ない自分を守り、からっぽの自分を満たしたいだけなのだ。
美しい映像とフランス語の響きというオブラートに包まれても、彼女たちの残酷さに変わりはない。しかし、こんなえげつないやり取りはフィクションだと思うなかれ。女子であれば、身に覚えがあるありふれた話に過ぎない。それらが妖しくも美しいと感じるのも、おどろおどろしいと驚愕するのも、彼女たちを無難な大人のモノサシで計って済ませようと目論む大人のあさはかさゆえ、だ。
観終えて暗澹たる気持ちになるか、「それで何か?」首をかしげて終わるか。丹念に描写を重ねたものの、一歩も踏み出さないままに物語をばっさり断ち切った点は、さすがに不全感が不全感は残る。余韻が語る、というには無理があるだろう。とはいえ、美しくもけだるいフランス映画の空気を満喫したい向きにはいち押しの作品だ。

(ついでに妄想:…二本立てするなら、やっぱりハケネの「ピアニスト」? それとも、水着つながりでオゾンの「スイミングプール」?)

〜〜〜
「水の中のつぼみ」(原題:「NAISSANCE DES PIEVRES 蛸の誕生」)
監督・脚本:セリーヌ・シアマ
出演:ポーリーヌ・アキュアール、アデル・ヘネル、ルイーズ・ブラシェール
posted by staff at 07:02| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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