2006年11月07日

映画のきらめき、人生の陰

この映画は観なければいけない。そう思って映画館へ行き、緊張ぎみに席に着いた。
「手紙」。これまであまり語られなかった・語ることを避けてこられた犯罪加害者の家族に、物語の焦点を定めている。私は、以前に原作を読み、強く惹きつけられた記憶があったうえ、挿入歌(小田和正さんの「言葉にできない」)が個人的に大切な曲であったこともあり、予告を観るたびにドキリとし、公開を待ち望んでいた。

…そして、私なりの感想は…
原作をまげることなく映像化し、無理なく2時間にまとめられていた。…ただ、残念ながら、「映画」としてのきらめきは感じられなかった。けれども、観る人に様々なことを伝え、考えるきっかけにしたい、という熱意は強く感じた。特に、原作ではあまり登場しない、刑務所内での職業訓練や工場作業の様子がさりげなく登場していたのは、(よい意味で)新鮮な驚きだった。この映画が、犯罪に至った彼らや、彼らにかかわる人に対する理解の一助となり、よい方向へのきざしとなることを願う。
………
話を戻して、映画のきらめき、について。
たとえば、偶然前日に観たイーストウッド監督&スピルバーグ製作の「父親たちの星条旗」は、人生の「ある断片」を丁寧に描き、余白の多くは残し置くことで、彼らの人生全体を雄弁に語っていた。映画には、そういう力があると思う。テレビドラマとも小説とも違う、一種独特の、特別な力。
そのせいか、映画「手紙」でも、出ずっぱりの主人公より、彼の会社の重役(杉浦直樹)や被害者遺族(吹越満)の存在が忘れがたく、心に残った。

それにしても。「さくらの検印」は、本当にあるのだろうか?

cma

追記:
「父親たちの星条旗」には、「ビリー・エリオット(邦題は『リトル・ダンサー』)」にて彗星のごとく映画界に登場したジェイミー・ベルが、若き兵士・イギー役で出演しています。繊細かつ透明感ある佇まいは彼ならでは。どうぞお見逃しなく!
posted by staff at 08:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TITLE: ジェイミーベル
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ジェイミーベルの「リトルダンサー」は私も好きな映画です。

先に「リトルダンサー」アメリカ版の「遠い空の向こうに」を見てしまったので、
「遠い…」より感動が薄かった記憶がありますが。

ジェイミーベル、大きくなりましたよね!
ジェイミーベルと、エヴァンレイチェルウッドのカップルは美しすぎる!!
キレイな彼女できてよかったね。
Posted by mattu at 2006年11月09日 14:27
遅ればせながら、原作『手紙』を読んだ。期待しすぎたせいか、いささか暖簾に腕押し状態の読後感である。
結局、由美子は、どうして直貴が好きになったのか?兄の犯罪がなくても、ダメだったことがいくつかないか?「スペシウム」部分の青春はなんとなく浮いている感があるが、伏線だったのか?例え刑事といえども、事件に直接関係のないことで、個人の秘密を開示させるようなことをしていいのか?そして、会社側はそれに配慮すべきだたのではないか?などなど、本題とは違ったところが気になってしまっている。
そして、「加害者の家族の本当の姿」とは?そこで、ふと思い出すのは『カナリア』だった。それから、原罪、というテーマを扱った『氷点』にも少し通じる。
あらゆる希望を殺人で奪った罪は、自らも全ての希望を断ち切られるという罰を受けてはじめて償われる、これはこの世にあるどんな刑より辛いことなのかもしれない。



Posted by 縞々糖 at 2006年12月29日 15:46
先日はどうも。

遅ればせながら,映画館で見損ねた「手紙」を今日,DVDで見ました。

原作のあざとさ,映画の展開の早さをさておいても,cmaさん同様,考える,いや,揺さぶられるきっかけになりました。

私や,私たちの仕事は,一体何のためにあるのだろう?そもそも何が最終目的なんだろう?仮に,最終目的があったとして,私や,私たちはちゃんと最終目的を果たすための方向に向かっているのだろうか?

そういういろんな思いがわきあがってきて,混乱しちゃってます。cmaさんならば,共感してもらえる部分があるのでは,と勝手に期待して,過去ログを確認した上でついついコメント書いてしまいました。
書き散らしちゃってすいません。
Posted by ちゃき at 2007年05月14日 22:58
ちゃきさん、いつもありがとうございます。
・・・そうですねえ・・・。私も、とっさにはとてもしっくりくる言葉が浮かびません。言葉にすると、零れ落ちるものがあまりに多すぎるような気がしてためらってしまうのです。・・・でも、それは一種の逃げかな。

とにかく。一緒にを生きているということを意識する。同じ時間を共有すること。愚直ですが、そんな言葉が頭に浮かぶ日曜の夜でした。
Posted by cma at 2007年05月20日 18:36
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