2012年06月12日

シェイクスピアと迷彩服とマスコミと(レイフ・ファインズ監督「英雄の証明」)

「英雄」で「証明」?! さっさとソフト化されるB級ハリウッド・アクションみたいな邦題だけなら、危うくスルーしていたかもしれない。名優レイフ・ファインズ初監督作品、そしてシェイクスピアの翻案、という前情報だけで観た本作。これが久しぶりの大収穫、得難い拾い物!だった。これだから、つくづく映画はやめられない。
正直、シェイクスピア翻案というだけなら、さほど食指は動かなかった。はるか昔にシェイクスピアが生み出した物語は、幾多の時を越え今もなお息づいている…という点に異論はない。けれども、なぜか翻案ものの多くは、「置き換え」の技巧が先立ち、生き生きと躍動するはずの物語はどこか硬直する。あえて視覚的・物理的な置き換えなくても、受け手が頭の中で日々の出来事を重ね、想像をふくらませれば十分…という気がしてしまうのだ。
それが、どうだろう。本作は、シェイクスピア翻案の私的ベストワン!と言いたい。ニュース映像をふんだんに取り交ぜ映し出される、とある国の紛争と政治。直情的な大衆と日和る政治家、もてはやしとバッシング。流麗な台詞回しがなければシェイクスピア劇だということを忘れてしまいそうな、「どこかで、幾度となく見た風景」が繰り広げられるのだ。
物語に引き込まれるうち、いつの間にか、迷彩服でマシンガンを乱射する兵士たちに、一枚布を纏い盾に剣、弓矢を手に戦う姿が被る。シュプレヒコールを上げ、デモンストレーションに没頭する群衆も同様。(ある意味、風呂に集う「テルマエ・ロマエ」の人々よりリアルに…。)マスコミ(テレビ番組)を利用した陽動作戦さえ、すでにローマの時代から使われていたテクニックであることを実感させられる。
絶望した男を救うのは男気溢れる敵にして同士…と思いきや。アジア圏の任侠ものやマフィアもののような男たちのドラマは脇に置かれ、無限に根を広げ絡み付くような血族(特に母子)劇が戦場で展開する。子に対峙し揺らがぬ軍母を演じたバネッサ・レッドグレーブが圧巻。最近では「ジュリエットからの手紙」など、思慮深く、心やさしくチャーミング、という役柄の彼女ばかりを観てきたので特に新鮮だった。軍服を着こなすその気迫ときたら! 男たちがかすむほどだ。
独裁政治が否定され、社会主義が崩れ、消去法的に民主政治(時として衆愚政治)が選択されている現代。例えば裁判員制度に時として見られ得るように、一握りの賢者の判断より、凡人の集まりである大衆の声が優先される。たとえ口先だけの政治家や愚かな大衆が闊歩しているとしても、味わいある台詞回しのわずかな片鱗を、時には耳にしたいものだ。

cma
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「英雄の証明」:Coriolanus、2011年、イギリス
監督、製作(共同):レイフ・ファインズ
脚本、製作(共同):ジョン・ローガン
原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:レイフ・ファインズ、ジェラルド・バトラー、バネッサ・レッドグレーブ、ブライアン・コックス、ジェシカ・チャステイン


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2012年06月05日

恋と愛のあれこれを、潔く一夜・92分で。(マッシー・タジェディン監督「恋と愛の測り方」)

朝に向かう一夜の物語、そして2時間未満。好きな映画の二大条件が揃った作品でした。華やかながら倦怠感が漂う若い夫婦に忍び寄る、心変わりへの疑いと誘い…。連ドラならワンクール十分に引っ張れそうな恋愛模様を、スパッと一夜92分で描く潔さ。映画ならではの味わいだと思います。
とはいえ、深読みし始めるとなかなかキリがなく、ずぶずぶとはまる楽しみも。神(または、観客=物語の受け手)の目線で捉えた、別々の場所で夜を過ごすことになった男女の同時進行する物語…と一見取れますが、カメラの目線が誰のものなのか、時系列通りの物語なのか、は説明されていません。もしかすると、二つの物語のどちらか(又は、どちらも)が互いのパートナーの想像・妄想かもしれない。もしくは、過去の相手にまつわる出来事を回想しながら、今現在の自分の揺らぎに向き合っているのだとしたら…等々。観る側の妄想も、際限なくふくらむというものです。
キャスティングもいいです。物憂げなキーラ・ナイトレイ、つくづくスーツが似合わない!体育会系サム・ワーシントン、甘く危険な香り漂うフランス男ギョーム・カネ…まではイメージどおりでニヤリ。出色はエヴァ・メンデス。大胆さと分別を併せ持ち、抑えた情熱が見え隠れするキャラクターでした。彼女はじわじわと役の幅を広げている気がします。今後も楽しみです。それから、「永遠の僕たち」に続き、アン・ロスの衣装を堪能できるのも、女子には楽しみのひとつかと。ツボを心得た音楽も心地よく、よかったです。
同行者は「はた迷惑な夫婦のはなし」と一刀両断していましたが、観終わった後の会話はしばし盛り上がりました。物語や登場人物に対する受け止めや捉え方の違いを誰かと語り合うと、更に楽しめる作品だと思います。
蛇足ですが、個人的には邦題はひねりすぎという気がしました。さっぱりとした原題「Last Night」の片鱗もありません…。せめて、劇場窓口で一息に言えるぐらいの短めタイトルをお願いしたいです。

cma

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「恋と愛の測り方」:Last Night、2010年、アメリカ・フランス合作
監督・脚本・製作(共同):マッシー・タジェディン
撮影:ピーター・デミング
衣装:アン・ロス
音楽:クリント・マンセル
出演:キーラ・ナイトレイ、サム・ワーシントン、エバ・メンデス、グリフィン・ダン、ギョーム・カネ
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2012年05月24日

ガンホ堪能!一粒の塩はきらめく大海に至る(「青い塩」)

久々に、やられました。
何と言ってもガンホ!です。ぱっとしないおじさん、伝説のやくざ、ときめく元少年、信念を貫く一途な男…様々な顔を見せてくれます。髪型や服装も「それらしく」くるくると変わりますが、さまになるのはガンホゆえ。外見ありきではなく、得体の知れない中身があるから「それらしく」見えるのです。いかにもハリウッドがリメイクしたくなりそうな作品ですが、彼に匹敵する役者さんはパッと浮かびません。スキだらけに見えて冷静沈着、無垢なのかフリなのかわからない笑顔、モサッとしているようでキレのいい身体…つくづく、唯一無二です。
殺し屋と標的の恋愛ものは決して新しくありませんが、本作は、二人がいわゆる美男美女でないところが魅力だと感じました。ちょっとした表情やさりげない仕草が雄弁で、本心と嘘、迷いや揺らぎが見え隠れし、ベタな話と思いつつも素直に引き込まれてしまいます。料理教室という一見突飛な設定(とはいえ、「ヒアアフター」も、料理教室が出会いの場になっていましたが…)も、塩、塩田、海…という広がりの出発点としてうまいなあと後々感じました。初めは端整すぎる気がした映像が、物語が深まるにつれ、大いに情感を掻き立ててくれます。
「グッド・バッド・ウィアード」をビョンホン目当てで観たという知人に、同作で共に主演を張ったガンホの素晴らしさをどう伝えればいいのか、もどかしく感じたことがあります。結局、「反則王」の全身タイツ姿は脳裏に封印し、「シークレット・サンシャイン」を勧めたのですが…。今なら迷わず本作を勧め、我がことのように胸を張りたいものです。
…それにしても、本作といい、「生き残るための3つの取引」といい、最近の韓国映画の世界では、ヤクザは虐げられる側。無数の人々の汗と涙の上にのさばり、冷酷非情に甘い汁を吸い尽くすのは政治家と周辺連中…がお決まりのようです。ん?それって映画だけ?韓国だけ?

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「青い塩」:Hindsight,2011年韓国映画
監督・脚本:イ・ヒョンスン
撮影:キム・ビョンソ
出演:ソン・ガンホ、シン・セギョン、チョン・ジョンミョン、イ・ジョンヒョク、キム・ミンジュン
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2012年05月14日

必死さと、滑稽さと。(塚本×Cocco=ドリフ)(塚本晋也監督「KOTOKO」)

コトコは、危険きわまりない世界を、常に壮絶に生きている。彼女には他者が二重に見える。出会う人々は、善意をまとって近づいてくると同時に、悪意の牙をむいて襲い掛かってくる。そんな恐ろしい世界から子供を守ろうと、彼女は外出を避けるようになり、じわじわと追い詰められていく。(二重の恐怖は、統合失調症等の精神疾患を患う人の世界観の映像化とも感じられ、興味深い。)
母子ものは、息苦しい。ヘタをすると、暑苦しい。特に、母・息子ものは。けれども本作は、大切なものを守ろうと必死すぎて滑稽になる、そんな笑いが絶妙に織り込まれていた。監督いわく、恐怖と可笑しみは紙一重であり、本作では(あの)ドリフをひそかに目指したという。なるほど、と思った。いつもに増して、恐怖と笑いのリズムが小気味良く、おぞましくも愛すべき世界に、観る者をひき付け、揺さぶる。
親ばかという言葉があるように、親の子に対するまなざしは、真剣であるがゆえに呆れや笑いを誘う。私的経験を踏まえ、ことさらそう思う。リストカットしたコトコは「赤ちゃん用」のタオルを使うまいとするが、育児中の自分にとっても、それは日常茶飯事。彼女のように「ちゃんと出来ない」と泣き崩れ、母に笑い飛ばされたこともある。当時は全身全霊で嘆いたのに、今思い出すと「ちゃんとやろう」とは何て無謀だったのだと赤面してしまう。ちなみに、わが子の最愛のおもちゃは、チラシやお菓子の包装紙だ。様々な「カサカサ」に囲まれ独自の遊びに熱中している彼を見ていると幸せを感じるが、トイレなどに立ち部屋に戻ると、あまりの雑然さにぞっとし、ゴミに埋もれた息子の姿に愕然とする。
この作品は、不気味なほど滑稽で必死な人を否定しない。もっと楽に生きればいい、頑張りすぎなくていいのだ等と、安易な救いをちらつかせたりしない。生きにくさは、誰も肩代わりできない。ただ、絶望はしなくてもいい、大切な繋がりは、どんなにか細くても奪い去られることはないと、大きすぎるひとりごとのように言い残してくれる。

cma

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「KOTOKO」、2011年日本映画
監督・企画・製作・脚本・撮影(共同)・編集・出演:塚本晋也
原案・企画・音楽・美術・出演:Cocco
2011年・第68回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門最高賞(オリゾンティ賞)受賞
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2012年05月08日

老女は少女に、少女は老女の詩にすくい上げられる(イ・チャンドン監督「ポエトリー アグネスの詩」)

孫を育てながらつましい暮らしをしている老女。ふと目にしたチラシから「あなたは将来詩人になるだろう」という学生時代の教師の言葉を思い出し、詩の講座に通い始める。一方、彼女は認知症を患いじわじわと言葉を失い始め、さらには孫がクラスメートの少女の自殺に関わっていることが判明する。崖っぷちに追い込まれた彼女に、詩は一縷の光となりうるのだろうか?
相変わらず、イ・チャンドン監督作品は居心地が悪い。善人とも悪人ともつかない、どっち付かずの人々がうごめいている。もちろん、主人公もその一人。娘に代わって孫を養い、家政婦で何とか生計を立てている…とすれば聞こえがよいが、「おしゃれ」と形容するのがやっとの不釣り合いなひらひらファッションに身を包み、詩(人)への甘い憧れを胸に、ふわふわとマイペースに振る舞っている。身も心もだらしない孫の体たらくも、ある意味、彼女が食べ物で懐柔してきた結果だ。(とはいえ、あまりにも傍若無人な孫の振る舞いには、憤慨を通り越して飛び蹴りしたくもなるが…。)同情しようにも、不可解さが先立つ。
さらには、孫の友人の親、文学講座の講師を務める詩人、朗読会のメンバーと、様々な人々の心のアクが次々と垣間見え、観る者の心情をざわめかせる。救世主は現れない。それぞれの思惑が、事態を思いもよらぬ方向へ…ではなく、なるようにしかならない方向へ、ずぶるずぶと向かわせるのだ。
「ペパーミント・キャンディー」以来、イ・チャンドン監督は、私たちが目を背けてきたもの、当然で致し方がないと割り切ってきたものを粘り強く見せつけ、揺さぶりを掛ける。つましく・地道に生きてきた(はずの)小市民たちの、痛々しさ・醜さ・浅はかさ。目を背けるにはあまりにも近すぎて、固唾を飲んで見入ってしまう。
とはいえ、彼らはそれぞれに過酷な状況を受け入れているのだから、多少愚かな振る舞いをしたとしても、それくらいでそしりや戒めを受けなくてもいいのでは…という思いもわく。観る者さえも物語の渦に追い込まれ、彼らに引き付けられていくのだ。
平凡な日常を切り裂く冒頭の衝撃は、ラストの諦観に繋がる。ふたつの影の重なりにようやく気づき、はっと息を飲んだ。迷走の末としては意外なほど、完璧な円をかたちづくって物語は幕を閉じる。訪れる、わずかな安堵。しかし、それは見かけに過ぎないのでは、というもやもやも、一方で残る。まだ何かを見落としていないか?見ないふりに慣れきっていないか?と、もやに包まれた濁水は、観る者に問い続ける。
スカッと劇場を出られる映画には対局にあるこの作品。余韻というには執拗な、日常をざらつかせる棘に出会うことを好むならば、是非に。

cma
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「ポエトリー アグネスの詩」:Poetry、2010年韓国映画
監督:イ・チャンドン
出演:ユン・ジョンヒ、イ・デビット、アン・ネサン、キム・ヒラ、パク・ミョンシン
2010年・第63回カンヌ国際映画祭脚本賞
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2012年04月18日

香港が嫉妬する快作!(「ドライヴ」ニコラス・ウィンディング・レフン監督作品)

「インファナル・アフェア」→「ディパーテッド」の逆を行き、香港映画版を観てみたい! 俳優は、トニー・レオンか、レオン・ライか。ドニー・イェンは王道だけれど、見るからに強すぎる。騒々しく雑多な香港の街中であれば、このドラマはどのような闇と光を生むのだろう。そんな妄想が際限なくふくらむ、最近稀に見る快作に出会えた。
始まるなり、観客は暗闇に投げ出される。目が慣れてくるにつれ、犯罪の渦中に立ち合っていると気付く。夜明けとともに、不穏な喧騒から一転、渇き鬱屈した日常へ。とはいえ、無表情な主人公の生気のなさに変わりはない。そんな彼の前に、くりくりとよく動く瞳の母子が現れ、物語が動き出す。…そして、何がなんだかよく分からないままに、観る者も母子に魅了され、物語に引き込まれていくのだ。
とにかく無駄がない。セリフも、シーンも、登場人物も、そして上映時間も。キャスト、スタッフが織り成すアンサンブルが素晴らしい。主演のライアン・ゴズリングは言うまでもないが、紅一点のキャリー・マリガンの可憐さも貢献度が高い。香港リメイクするとしたら、彼女に匹敵するリアルタイムの女優がパッと浮かばないのが難点だ。かつてのマギー・チャン、もしくはセシリア・チャンあたりはパッと浮かぶのだが…。
ちょっと古くさい、もしくは泥くさい。クレジットのピンク色が下品。初めは少々気恥ずかしく思えたあれこれも、観終えたあとはこの映画の欠かせない要素、と何処かいとおしく思えてしまう。それらが実は巧妙な計算であったとしても、単なる「たまたま」だとしても。
映画は、まだまだ捨てたもんじゃない! にんまりしながら席を立つ快感を、久々に味わえた。

〜〜〜
「ドライヴ」:Drive、2011年アメリカ映画
監督:ニコラス・ウィンディング・レフン出演:ライアン・ゴズリング、キャリー・マリガン、ブライアン・クランストン、クリスティーナ・ヘンドリックス、ロン・パールマン
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2012年04月06日

映画を好きでいるという孤独な営み(アミール・ナデリ監督「CUT」)

すべてを包み込むような静謐さと、ひりひりと焼けるような痛みと、熱にうかされるような高揚と。観る者のエネルギーの一切を搾り取り、同時に底知れぬ新たなエネルギーを一気に吹き込む(まるで、シュウジが抱えた借金のようだ)。そんな至極の映画体験を、一瞬も絶えることなく存分に味わった。
連呼される「映画」という言葉。初めこそ気恥ずかしさを感じたが、シュウジが地を踏み鳴らす足音と相まって、次第に胸躍るリズムとなっていく。何より驚かされたのは、どす黒い血と汗にまみれた映像に覆い被さる、映画100本のクレジット。文字という単なる記号が、暴力に相対する説得力を発揮する。そして、ビルがそびえる都会の中で明かりを灯す、屋外映画館の幻想的な美しさ…。様々な音が、光景が、今も鮮烈によみがえる。
バーに集う人物たちは、殴られ屋となるシュウジを軸に揺れ動くが、シュウジは最後まで彼らと交わらない。映画という共通項を持つ友人や、上映会に集う人々とさえも。映画を伝えたい、映画について語り合おう、とシュウジは高らかに呼び掛けるが、実際は多くを語らず、沈黙を保つ。
映画を好きでいるのは孤独なことだ、と改めて感じた。日常会話の中で、「映画が好きです」と言うのは、勇気がいる。相手に「私も」と返されると、むしろどきどきする。「映画」は余りにも幅があり、それでいて「読書」のような普遍さがない。どこか特別。映画好き、という共通項を喜びつつも、語り合えば差異があらわになり、逆に溝が生まれるかもしれない、と不安になる。好きなジャンル、俳優、監督、映画を観る場所やツール、…好きのありよう。そんなことまで気になってしまう。
そもそも、映画館の暗闇に身を置くこと自体、心地よく孤独を感じる行為だ。向き合うのは、他者ではなくスクリーン。笑ったり泣いたりする箇所や、笑い方・泣き方にはズレがある。たとえ同じシーンであったとしても、泣く・笑うといった目に見える行動の背景にある思いは計り知れない。映画を好きでいるということは、誰かとの共通項探しや共感以上に、他との違いやずれを感じることで、もやもやとした自分というものを、手探りしつつ確認したいのかもしれない。
だからこそ、映画への愛を秘めながら沈黙を守り、傷だらけになるシュウジから、映画の中の彼らも、映画を見つめる私たちも、目をそむけられない。彼らは映画を救うためではなく、挑戦を貫くシュウジに惹かれて行動を起こす。それでも、シュウジの映画への想いは守られ、鼓舞される。…映画にとっても、シュウジや彼らにとっても、幸せなことに。
映画によって、細々と、そして確実に、私たちは孤独を保ちつつ繋がっている。

cma

〜〜〜
「CUT」:2011年日本映画
監督・編集:アミール・ナデリ
脚本:アミール・ナデリ、アボウ・ファルマン、青山真治、田澤裕一
特殊メイク:梅沢壮一
スペシャルアドバイザー:黒沢清、市山尚三
出演:西島秀俊、常盤貴子、菅田俊、でんでん、笹野高史
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2012年04月01日

ある意味、ダークな「となりのトトロ」(ギレルモ・デル・トロ監督「ダーク・フェアリー」)

久しぶりにどっぷりと映画世界に浸りました。画面を凝視し過ぎて、登場人物並みに怯え、飛び上がって叫び出しそうになりました。床にぶちまけるポップコーンなんぞを持っていなくてよかったです。
艶やかで底知れぬ陰影、色鮮やかな草花やきらめく水面の光など、みっしりと密度ある美しい映像で綴られるゴシック・ホラー。いわゆるJホラーとはまた異なる味わいです。ラテンが誇るチャ・チャ・チャ三兄弟の一人、ギレルモ・デル・トロの面目躍如! 心地よく怖がらせてもらいました。
キャスティングもなかなかです。不敵とも繊細とも映る、こぼれ落ちそうな黒い瞳の少女はもちろん、あの「メメント」のガイ・ピアース、「ケイティ」のケイティ・ホームズ…と訳ありの薄幸そうな顔ぶれが揃い、過去の作品の影がちらついて色々な想像・妄想が広がりました。さらには、「見えそうで見えない」怖さに留まらず、「小さいの」がしっかり登場。その気になれば叩きつぶせるネズミなみの小ささ、それなりの愛嬌さえあるものの、闇から群れをなして登場すると迫力満点…。ゾクリとします。少々古いですが、グレムリンもあっさり一蹴されそうな勢いでした。
母親から離された少女、古い屋敷、豊かな自然、そこに昔から住むモノたち…と、実は「となりのトトロ」と主要素が共通する本作。この機会に併せて観ると、新たな発見も加わり、相乗的に楽しめるかもしれません。

cma
〜〜〜
「ダーク・フェアリー」:Don't Be Afraid of the Dark、2010年アメリカ・オーストラリア・メキシコ合作映画
監督:トロイ・ニクシー
製作:ギレルモ・デル・トロ、マーク・ジョンソン
オリジナル脚本:ナイジェル・マッキーンド
脚本:ギレルモ・デル・トロ
出演:ケイティ・ホームズ、ガイ・ピアース、ベイリー・マディソン
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2012年03月21日

「教えて、あなたは幸せだった?」(フィリップ・ロイド監督「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」)

頭(髪)が大きい、ちょっと怖そうなおばさん。子どもの頃のサッチャー首相の印象は、そんな程度だった。彼女を意識するようになったのは、イギリス映画に開眼してから。ケン・ローチ作品、「ブラス!」「リトル・ダンサー」等に出会うにつれ、必死に働き・生きる人々に忌み嫌われる存在、冷徹な切り捨てを行った首相、という像が脳裏に刻み込まれていく。国民に敵視されつつも、長きにわたり国政のトップに君臨し続けた続けたマーガレット・サッチャー。いったい彼女はどんな人物だったのか?
本作で冒頭から見せつけられる、老いた彼女の姿は、痛々しく、悲しい。かつての生き生きとした姿と交互に映し出されるから、なおのこと。ところが、そんな感情に素直に浸ってよいのかと迷いがわき、終始居心地が悪かった。
あの「鉄の女」でなければ…名もなき市井の女性とまでいかなくとも、一代で財を築いた女性実業家くらいであれば、このような思いは生じなかったはずだ。首相であっても、一人の女性。とはいえ、彼女が他者に与えた影響は余りにも大きく、計り知れない。彼女の孤独を見せつけられるたびに、イギリスの人々は、本作で描かれる彼女をどう感じるのだろう、という疑問がふくらんだ。たとえば、「ブラス!」等に登場した石炭まみれの男たちは? 「リトル・ダンサー」で家族と別れゆく少年は? そう思うと、どうにも複雑な気持ちになった。
さらには、「家庭と仕事」という切り口も、観る者を物語に引き込むには十分と言い難い。家庭を顧みず、仕事に邁進する。それは、明らかに一昔前に賞賛されたスタイルであり、彼女の姿には、職場で出会ってきた「強烈・猛烈」な上司が被る。必要に迫られて様々な犠牲を払い、並々ならぬ努力を重ねて道を切り開いてきたことに感服しつつも、「お手本」にしようとは思えない。彼(女)たちの、「がむしゃらに働き、闘う」生き方は、今のスタイルから余りにも離れている。彼らがどんなに「私たちのころはなかった・考えられなかった」と言っても、育児休暇や託児は存在し、仕事が何においても優先されるという考え方は廃れつつある。かつて、「犠牲」となった記憶も手伝ってか、彼らの道をたどろうとは思えないのだ。
とはいえ、次に伝える必要性が失われ、継承が絶たれるのは、そこはかとなく悲しい。伝える側にとっても、伝えられる(はずの)側にとっても。この映画が残すのは、主人公に対する力強い答えではなく、そのような感傷だ。
「教えて、あなたは幸せだった?」繰り返される幻の夫への問いかけは、実は彼女自身への問いかけであるように感じた。−マーガレット、あなたは幸せでしたか?

cma

〜〜〜
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」:The Iron Lady、2011年イギリス映画
監督:フィリダ・ロイド
脚本:アビ・モーガン
出演:メリル・ストリープ、ハリー・ロイド、ジム・ブロードベント、アンソニー・ヘッド、リチャード・E・グラント
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2012年03月05日

「モダン・タイムス」から時は流れて(マーティン・スコセッシ監督「ヒューゴの不思議な発明」)

様々な色や味、食感を持つクリームや生地が重なり、絡まり合って深みを生む繊細な仏蘭西菓子のように、とても丁寧に作られた作品だと思いました。
前評判どおり、飛び出すだけではない3D作品です。広がりある奥行きやふわっとした風の動きを、存分に感じることができました。(ちなみに、隣の女性客からは「3Dは、つくば万博以来だわ。」という会話が…。平日の字幕版でしたし、たまたまかもしれませんが、全般に年齢層が高かったです。)
様々な人や物が行き交う駅の雑踏から物語が幕を開け、シンプルな筋書きが、重層的に、豊かに語られます。中心となる少年と少女、老夫婦に加え、多様な駅の住人たちが登場しますが、誰一人「おまけ」ではなく、物語が前進するために欠かせない存在であることが明らかになっていきます。個人的には、久しぶりに愛らしい役柄だったエミリー・モーティマーの魅力を堪能できたのが特によかったです。彼女のどこか憂いある笑顔を見ていると、「花売りは、水仕事・力仕事の連続で実際大変だろうな」「そもそも、商売として成り立っているのだろうか」「病気の親や幼い弟や妹を抱え苦労しているかもしれない…」等と想像がふくらみました。さらには、警官と忠実な犬、カフェの犬好きマダムと老紳士、貸本屋、映画研究家…それぞれの語られぬ物語への想いも。スリリングに二度も登場したせいか、機関士たちにも隠されたドラマがあるように思われました。
かつてチャップリンは「モダン・タイムス」で、ねじを締め続けるうちに、単なる歯車として組み込まれ、飲み込まれていく現代人の悲哀を描きました。一方本作は、一見地味で個性のないねじ一つ一つに目を向けています。古いねじは再発見され、新しいねじは自分の場所を捜し当て、ぜんまいは動き始める。かけがえのない唯一つのねじとして、あるべき場所に収まり、役割を発揮することで、大きな変化の原動力となる喜びを描き出しているように感じました。
そこでふと思い出されたのは、隣の女性客の「つくば万博以来だわ」という言葉。…つくば万博!当時は、科学と未来への夢が詰まった祭典、というイメージでした。(私事ながら、友からおみやげにもらったコスモ星丸くんの消ゴムは、もったいなくて使わずじまい…。)そもそも、隣の女性はどんな経緯で万博に行ったのでしょう?お子さんにせがまれて?今はお子さんも成長し、お孫さんがいるのかも…等と、客席に集った人々の物語へも、想いはしばしふくらみました。思い出すにつけ、今もなお。
映画の父・メリエスを物語へ織り込んだ映画史へのオマージュ、という巧みさ、魅力は勿論ですが、市井の人へのあたたかなまなざしも、この映画の持ち味だと感じています。

cma
〜〜〜
「ヒューゴの不思議な発明」:Hugo、2011年アメリカ映画
監督:マーティン・スコセッシ
製作:グレアム・キング、ティム・ヘディントン、マーティン・スコセッシ、ジョニー・デップ
原作:ブライアン・セルズニック
脚本:ジョン・ローガン
撮影:ロバート・リチャードソン
出演:エイサ・バターフィールド、クロエ・モレッツ、サシャ・バロン・コーエン、ベン・キングズレー、ジュード・ロウ、エミリー・モーティマー
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