2005年10月18日

乱れ雲

ついに昨日、ファイナルを迎えたせんだいメディアテークでの成瀬巳喜男特集。
気合で最終時間の『乱れ雲』を観てきました。
成瀬作品は6本目ですが、これは唯一のカラー(モノクロ世代の方は「総天然色」という)であり、『乱れ雲』は『乱れる』の好評を受け、続編ではないが再び加山雄三を迎えて作られたもので、成瀬監督の遺作となりました。
108分と長くもないのですが…観ているほうは「長い…、長すぎる」と6時間くらい缶詰にされた気分であり、見終わった後は2歳は年を取った気がしました(というか実際とったに違いない)。
決してドロドロしてはいないのですが、昭和40年代という時代性も加わってか「??」な点が多いんですね。そして、若かりし加山雄三はいい男であり、しかし、やはり「ぼかぁ(ぼくは)」といっていまうのだな…と。お父さんの上原謙の方がいい男ですが、育ちのよさからくる性格の良さが「棒立ちか??」と思われる立ち姿にもよく表れていました。
見終えてみて、私はモノクロ時代の成瀬の方が断然好きだなと思いました。すべてが生き生きとしていました。もしかすると戦争や貧困と怒涛の日本でありながらも人間らしい生き方を出来た時代がモノクロ時代だったのかもしれません。

さて。スクリーンで成瀬作品を観ることはしばらくなりそうで、とてもとても残念ですが、まだまだ映画はメディアテークでも目白押し。映画監督の登竜門「ぴあフィルムフェステバル」に先立ち、10月20日午後7時から『浅野忠信監督トーリ&山岡信貴監督ソラノ』の上映があります!

jun
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2005年10月17日

放浪記

林芙美子といえば、尾道の街道に旅行かばんと傘をもってしゃがみ、じっと瀬戸内海を見据える芙美子像を思い出す。

尾道では芙美子は、高校時代を過ごしている。その後、男を追って上京。しかし、それは実ることのないものであった。そして、土地だけではなく、職業、男性を転々とするまさに放浪人生が本格的にはじまるのだ。

成瀬監督の『放浪記』は、今も大盛況の森光子主演の『放浪記』初演の好評を受けて、製作されたということだ。それとの比較や同名の原作、林芙美子本人のことを除いて、映画に釘づけとなった。

シネスコの大画面でみる『放浪記』は、「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」の芙美子の一文で終るが、そのとおり、息もつかせぬあっという間の上映であった。

貧乏で職がなくて、男に騙されてなどというのは、当時、いや今だってたくさんある話だと思う。違うのは、林芙美子が近眼の進む目で、夜な夜な本を読み、文章を書いていくことである。

「だって、しようがないじゃないのよ」

林芙美子演じる高峰秀子は美しい女優である。にもかかわらず、本編ではおかしげなメイクと襟抜きをしない着物、猫背、上目使いの目線やひねた口元、高峰独特のくぐもった声で貧乏であまり綺麗でもなく、みじめったらしい女、そして、詩や文章を書き出すマイペースで風変わりな女を見事に演じきっている。
仕方がない、ネガティブな言葉であるが、それはネガティブではない。今にみてなさいという反骨でもない。

原稿にへばりつくように文を書き続ける林芙美子には、ただ仕方がなかったのである。人に騙されながらも、人が恋しくて寂しくて仕方がない芙美子。書くことだけが彼女を慰めたに違いない。


あまり張り詰めて見たせいか、シアターからでると近くの文字がピンぼけた。「近眼」と映画の中で言われるたびにどこかしら林芙美子に親近感を抱いてしまったのは私だけだろうか。

jun
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2005年10月14日

晩菊

せんだいメディアテークでの成瀬監督特集もあと3日。
せっせと足を運んでいるわりにまだ5作品目。しかし、5作品だけでも多くのものを得たように思う。なぜなら書きたいことが山ほど出て来てしまうから。
この企画は単純に製作年順に上映されているわけだが、いよいよ戦後に突入。戦前の温かみ溢れる作品で「小津は二人要らない」といわれ不遇な時を過ごし、戦後、林芙美子モードのような重い男女のテーマをこれでもかと対峙し見据える職人技を発揮したそんな成瀬の真骨頂がこれから見られるわけです。

『晩菊』は1954年、名脇役といわれた杉村春子が唯一主演をはった元芸者4人の物語り。金貸しを営むおきんの杉村春子は主演といっても、5:2:2:1くらいで4人で割っていて「主演…?」といった感じ。放浪記が自伝的作品といわれる林芙美子原作だけにどこまでも内容はディープ。101分と決して長くないのに時がふた月ほど経ったというか、なんだか老け込んだ気になった。

さて。いろんな想いが巡って何を書いたらよいか迷うが「手紙とロマンス、その行方」とでもしよう。

元愛人からおきんに手紙が届く。金貸しをしているおきんは厳しい取り立てをしゃきしゃきと橋田寿賀子ドラマばりの口調でこなし、昔なじみの芸者仲間からも疎まれているが、この時ばかりははしゃいだ表情を見せ、大事そうに着物に懐中する。そして若かりし頃の彼の写真をそっと取り出し、うっとり眺めて、また箪笥にしまうのだ。

ここで思い出したのが「仙台箪笥」。仙台箪笥は惚れ込んでいる民芸家具のひとつであるが、専門店を見に行った際、カラクリ箪笥というのを教えて頂いた。つまり、外からはわからない隠し場所みたいなものが箪笥の中に仕込まれているのである。年配の方が亡くなられると箪笥のそういった場所から遺品が出てきたりするんだそうだ。

「じゃ、昔のお金とか宝石とか出てくるわけですね」
と誠に現金な私の質問に店員さんは
「いや、おじいさんやおばあさんのラブレターなんかが出てくるんですよ」
と笑いながら答えてくれた。

いやー、ちょっといい話じゃないですか!そういう大事なものをしまう場所にそっと仕舞われた恋文。いっそ候文(そうろうぶん)くらいいっちゃっていて欲しい。ロマンス溢れますねぇ。

と、映画のストーリーにもそんなロマンスを期待したがロマンスどころか、会ってしまえば、熱い情も冷め切ったシラけた二人。そのシラけた二人の気まずいムードを細かく演出し、無駄のないカメラワークがとらえる。
もしまだ愛溢れる二人だったら、成瀬監督はどんな演出をしてくれたのだろう。そして私なら?そんなことを考えた。

この映画の面白いもうひとつの点は今流行りの「負け犬論争」が垣間見えるところである。

「男と子供は逃げちまうけど、お金は裏切らないからね」

VS

「苦労はしたけどさ、子供だけは産んで、ホントよかったよ」

もちろんどっちがいいなんて結末はない。林芙美子は、成瀬はどっちを正解というのだろか?

とにもかくにも、深い深い映画『晩菊』。秋の夜長にピッタリであった。

jun
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2005年10月13日

成瀬巳喜男と帯 その参

まだ4作品しか見てないというのにこんなにも帯のことを考えさせるなんて、成瀬監督はやはりスゴイ。
きっと「自然であること」を技巧を凝らしまくってフィルムに焼き付け、しかし、それを一切観客には見せないように仕立てあげているからに違いない。見る側は余裕を持って、映画の隅々まで堪能できるのだ。有り難い。

成瀬監督作品に出てくる帯はどこかクタッとしていて、曲がっている。お太鼓なんて見る度に「ちょっとタレ先を左にピッと…」となおしてあげたくなるくらいだ。いわばいかにも自分で着ましたという風情。これがものすごくいい。
そして、必ず帯が胸の下でクタッと落ち窪んでいる。要するに補正なんてしないわけで、それが当時らしい。
竹久夢二が描く美人画も帯が胸下でクタッと落ち窪んで、いつも何かに寄り掛かり、頼りなげなはかなげな美しさを醸し出している。私はこれを絵によくあるデフォルメだと勝手に思っていたが、夢二のモデルの写真を見て驚いた。小林秀雄が夢二を訪ねた時、絵の女性がそっくりそのまま部屋の壁にもたれ掛かっているのを見て、ビックリしたといわれるようにデフォルメではなく、そのまんまなのである(東京の竹久夢二館では写真の展示もあるそうなので機会がありましたらぜひ)。

現代の鳩胸補正にピシッとシャッキリ帯は冠婚葬祭には欠かせないとしても、この帯クタと落ち窪みの着こなしは隙のあるかんじが柔らかく、女らしくていい。ちょっとやってみたいものだ。

jun
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おかーさーん

「おかーさーん」の叫び声とともに伝説の人間花火が記憶に新しい『恐怖怪奇人間』(仙台セントラル劇場05/10/7上映)の石井輝男監督が助監督を務めた成瀬監督の『おかあさん』。
この二人、実は師弟関係なんですね。cmaさんとあの人間花火のシーンは師匠へのオマージュなのでは!?と盛り上がっていますが真相はいかに??

どうも『おかあさん』を内輪メンバーでいいと言ったのは私だけらしい…。やはり私の審美眼は信用ならないのか…。確かに「お母さんネタ」が満載でまさに「一杯のかけそば」風の感動させモードにいささかニヤッとしてしまうところもあるんですが、けどちょっといー話なんですよ『おかあさん』!

田中絹代演じるお母さんはいくつもの不遇に合いながらも、頑張っちゃうよみたいな肝っ玉母さんではなく、不必要に聖母化されたお母さんでもなく、ただそれを受け入れ、ただ家族を守ろうとしている力のないひとりの母親。

長女のナレーションに「お母さんの目の開き方は優しくて」とあり、「ん?どうゆーこと?」と思う一言ですが、まさにジーンとくるのは夫や子供を見る優しい目線であり、そして、夫や子供が母を求める心なのです。母親って、どうしてこんなに優しいのでしょうか。まさに無償の愛です。それを成瀬巳喜男が描くんですから、そりゃもうジワジワときちゃいますよ。

妹が理容師のコンクールに出るために長女をモデルにして、文金高島田を結い上げ、花嫁衣装を付けた時、立派に美しく成長した娘を見る母親の感服した溜め息とキラキラと輝く目。
貧乏はしても母親としての誇らしさと幸福感に包まれたに違いありません。その苦労と想いにまた涙してしまいました。

どうも私は「お母さんネタ」に弱いらしいです。じゃ「お父さんネタ」はどうかななんて、その手の映画を考えているうち、しまいにはドリフターズの「病気のおとっつぁんで娘が借金のかたにとられる」シリーズが浮かんでしまいました。

こりゃ泣けないわ 、笑。

jun
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2005年10月11日

成瀬巳喜男と帯 その弐

成瀬作品そのものに魅了され、没頭しながらも、やはり私は「着物」に注視してしまいます。


●その壱でも書きましたが、兵児帯。

『妻よ薔薇のように』では、丸山定夫演じる父親が仕事から帰ってきて、普段着の着物に着替えます(作品中では、着替えるは「きかえる」と発音する。なんかいい感じ)。妾であるお雪(英百合子)から兵児帯を渡されると、はじめ両手でもって手先を腰脇に置き、くるりとひと巻きしたかと思うと、後は片手でくるりくるりと巻きつけ、最後は後ろのほうで、きゅっとする動作をしただけ。
前からのショットなので、後ろでなにが行われているか定かではないのですが、おそらく包帯のようにただくるくると巻きつけて、たれ先を巻いてある帯に挟み込んだだけではないでしょうか。おお、さすが普段着。兵児帯は腰紐も要らないので、こんな風にゆったり自由に着ていいわけですね。新発見です。

・junまめ知識
兵児帯は、西郷隆盛が軍服の上から刀をさすために白い布を腰に巻きつけたことに由来するとか。「兵児」は、鹿児島弁で15歳〜25歳の男子を指すのだそう。→さて、何「へぇ」ですかね?

●正絹の音

「正絹」

なんて読むかご存知ですか?私は知りませんでした。
答えは、「ショウケン」。すなわち、着物の素材の名前で絹ってことなんだけど、じゃあ、「絹100%です」って言えばいいじゃーんと最初は思いましたが、今ではやはり「ショウケン」の方が落ち着きますわ。
昨日観た『旅役者』では、気になるシーンがありました。旅の一座の親方が主人公とその弟分を呼び出すシーン。何か悪いことを言われるんじゃないかとおずおずと主人公らが部屋に入ると、親方は帯を締めながらこちらを向く。次の瞬間、その帯の締める部分のアップが入り、「シュッ」と正絹が擦れる独特の音とともに帯がぎゅっと締められる。その後、「ま、座りな」と促す親分。そして、神妙に座って向かい合う3人。
このシーン、別に要らないと思うんですよね。しかし、この「シュッ」を入れることにより、親分の「あんまりいいたかねぇよ。けどいわなきゃなんねぇ」の意を決した感じと主人公らのびくついた感じがよく表せているんです。
サイレント映画からはじまった成瀬監督らしい、動作だけの説得といいましょうか、さすが!と唸ってしまいました。


今回のせんだいメディアテークでの成瀬特集は成瀬監督作品84作品中24作品が上映されます。さて、何本観れるのか、頑張らねばなりません。でも1本500円。破格ですよ!

jun
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