2013年09月08日

彼女にとっての事実、私たちの真実(篠崎誠監督「あれから」)

彼女にとっての事実、私たちの真実(篠崎誠監督「あれから」)

とても静かな、そして奇妙な映画だ。多くの「震災映画」は、物理的な事実を生々しく描き出そうとした。その一方で本作は、物語のヒロインにとっての事実、心の中で起こった事柄を丁寧にすくい上げ、観る者の記憶に留めようとする。彼女の同僚が、震災後も淡々と日常を続けていることへの違和感を口にする。けれどもスクリーンの前にいる私には、彼女たちさえも日常から遠く見えた。震災の起きた世界、彼女たちのいる世界、私たちがいる世界。それはすべて異次元でパラレルに存在しながらも、ときに重なり合い、すれ違う。
物語の辻褄はきちんと合っている。けれども、現実と虚構の境界はあいまいで、互いに侵食し合う。特に印象的なのは、ヒロインの部屋に貼られた青空のポスターだ。あるものを覆い隠すために貼られているそれは、時に本当の空のように映り、時に書き割りのように薄っぺらく見えた。そして、パーティー中に彼女にだけ散りかかる、桜の花びら。けれん味がありすぎるようにも感じたが、彼女にはそれが必要だったのだ。「あり得ない」あれこれが、不思議に現実みがある。彼女が夢で逢う恋人は、ある意味彼女と本当に出会い、言葉を交わしたのかもしれない。
もしかすると、この物語は、目覚めぬ者の見た幻、願望なのだろうか。恋人は死んでおり、ヒロインも命を落としたか、昏睡しているのかもしれない。そもそも、彼女たちは、誰ひとり実在しないのかもしれない。彼女たちは、どこかフワフワとしている。(私自身、震災をきっかけに、こうして日々を過ごしているのは夢で、本当の自分はどこかに横たわっているのでは、いつか醒める夢なのでは、という思いに時々囚われる。)
現実かそうでないかは、大した意味を持たない。誰かにとっての真実にふれることが大切であり、今の私たちに必要なのだ。不穏さ、引っかかり、違和感。それらを抱え、私たちは生きていく。

cma

〜〜〜
「あれから」2012年、日本、63分
監督・原案・脚本:篠崎誠
脚本:酒井善三
出演:竹厚綾、磯部泰宏、太田美恵、木村知貴、川瀬陽太



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2013年09月07日

語りすぎず、照らしすぎず(山本起也監督「カミハテ商店」)

語りすぎず、照らしすぎず(山本起也監督「カミハテ商店」)

ラストが、絶妙。
ここで終わってほしい、という瞬間に、画面が暗転した。よしっ、と心でひそかに膝を打ち、思いきり余韻に浸った。
自殺の名所とされる断崖のそばで、小さな店を営むヒロイン、千代。彼女は淡々と自殺志願者に牛乳とコッペパンを売り、帰って来ない者の靴を持ち帰る。
ここで終わるのかな、というくだりは中盤にあった。でも、そこで終わるのは「自殺はいけないこと、否定すべきこと」という正しすぎるメッセージにならないか。はてさて…とはらはらしていたら、すっと物語は続いてくれた。うれしい裏切りに安堵する。では、どのように幕切れへ向かい、決着するのか? 新たなはらはらを抱きながら、ひたすらスクリーンを見つめた。
つくられた物語には起承転結がある。例えば、ハッピーエンドはすわりがいい。けれども、実際の人生はその先も続く。小さなエピソードが幾重にも繋がり重なり、後々で思いもよらぬ意味を持つ。矛盾しているかもしれないけれど、本作は、そんな実生活に、より近いフィクション。ドキュメンタリーをこつこつと丁寧に作り上げてきた、山本起也監督ならではだと思う。
加えて印象的なのは、舞台となる山陰の小さな港町を照らす光だ。千代の心境の変化を表すかのように、前半と後半で光のトーンが一変し、さらには物語の起伏に合わせて細やかに変化する。特に、ラストで彼女を照らす光の力! 自然光が、ここまで物語るとは驚いた。
光と音、そして人々の佇まい。細部まで作り手の想いが伺える。けれども、それらをすべて見逃すまい聞き逃すまいと気を張ったり、暗喩を読み解いたりすることにこだわる必要はないだろう。むしろ、その時の自分にふっと引っかかるもの、すっとしみ込むものを大切にしたい。そして、共に観た人と分かち合いたい。そう思った。

cma

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「カミハテ商店」2011年、日本
監督:山本起也
プロデューサー:高橋伴明、林海象
有吉司、古賀俊輔
出演:高橋惠子、寺島進、あがた森魚、水上竜士、松尾貴史




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2013年09月06日

影と、光と。(熊切和嘉「夏の終り」)

影と、光と。(熊切和嘉「夏の終り」)
へえ、こういうのを「奔放な女」というのか。ちょっと意外な気がした。物語前半こそ、彼女は余裕綽々で、愉しげに二人の男の間を揺れ動く。長年関係を続けてきた妻子ある年上の男•慎吾と、かつて家族を捨てるほどに焦がれた年下の男•涼太と。年上の男を揺さぶり、年下の男の揺さぶりを突き放す。当然、そんな蜜月は長続きしない。相手は己れとは違う意思を持つ生き物だ。いつしか彼女もずぶずぶと関係のもつれに身を落とし、もがけばもがくほど動きが取れなくなっていく。
格子戸から覗く慎吾の片目、食べかけのまま涼太に打ち捨てられる桃…等々、どきりとさせられる画は枚挙にいとまがない。とはいえ、何と言っても満島ひかり演じるヒロイン•知子の佇まいが印象深い。冒頭でいきなりコロッケ、続いてビスケット、蜜柑…彼女はとにかくよく食べる。たいして栄養になりそうもないものを、豪快に摘み、わしわしと咀嚼する。酒を飲み、煙草をふかすのも堂々としたもの。男たちとの関係と同様に、彼女は後ろめたさを持たない。自分に正直に、求めるままに。ときにはつらぬくのが難しくても、そんな姿勢を自ら確かめるように、力強く食べ、飲み、ふかすのだ。
そして、型染め。迷いのない、力強い手つきで鮮やかに草花を彫り出し、一心不乱に染め上げる。後半、藍の染色で手先を青くしたままの彼女は、追い詰められながらも奈落の直前で踏みとどまる。生身の男と、そして自分の欲望と、各々へ対峙する姿にぞくりとした。
陰影で始まった物語は、輝かしい光に包まれ幕を閉じる。ちょっと唐突で、戸惑いを感じるほどに。恋愛は彼女の一部に過ぎない。弄びもせず、弄ばれもせず。激動を経て平穏に至り、さらなる高みに至った彼女は、どきりとするほど美しい。

cma

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「夏の終り」2013年、日本
監督:熊切和嘉
脚本:宇治田隆史
プロデューサー:越川道夫、深瀬和美
出演:満島ひかり、綾野剛、小林薫
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2013年07月19日

思った通りにならなくても、その想いは届いている(吉田康弘監督「旅立ちの島唄 十五の春」)

必要以上に泣いたり笑ったり叫んだりしない。すーっと心にしみ渡る。ありそうでなかなかない、素敵な映画に出会えました。
高校進学のため、一年後に島を出ることになる島の女の子•優奈。彼女と彼女をめぐる人々の一年が、大東島の四季を織り交ぜながら丁寧に描かれます。彼女の家族はバラバラに生活しており、いわゆる「複雑な家族」。一年後の彼らの姿は、ハッピーエンドからは遠いかもしれません。けれども、実際のところ、親と子どもが平穏無事に同居している家族がどのくらいいるでしょうか。離婚率が高いという沖縄を舞台に据え、今にふさわしい普遍的なホームドラマになっているところがうまいなあと感じました。
うまいといえば、さすが井筒作品で共同脚本を重ねてきた監督さん。光る台詞がたくさんありました。優奈と秘密を共有してくれるにいにいや、旅立ちの島唄は泣いて唄っては意味がないと諭すおじいなど、魅力的な大人がたくさん登場するところもよかったです。
何より印象深かったのは、それぞれが互いのことを想い、長い沈黙と熟慮の末に選択したはずの事柄が、当人の思うような方向には奏功せず、むしろ逆の結果を招くところです。崩れるかと思った関係が繋ぎとめられ、修復かと思ったものが離れていく。それでも、想いはしっかり相手に届き、伝わっているはず。遠回りでも、意味がある結末なのだとしみじみ感じました。
「お前の居場所はここにはない」ー一瞬つめたく響く言葉ですが、何よりのはなむけなのだと思います。別れの寂しさを振り切りながら絞り出されたその言葉には、ぶっきらぼうな優しさがにじんでいました。

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「旅立ちの島唄 十五の春」2013年、日本
監督•脚本:吉田康弘
出演:三吉彩花、大竹しのぶ、小林薫、早織、立石涼子





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2013年07月02日

怒りと不安のあいだで(土井敏邦監督「飯舘村 放射能と帰村」)

街の雑踏をすり抜け、意を決して劇場に向かう。相変わらずひんやりひっそりとしていたけれど、場内はいつになく混んでいた。
スクリーンの中の人々は、涙を流したり、怒ったり、不安を訴えたり、憤ったりしていた。…その場(居合わせている人や所属している集団)に合わせるかのように。
自分自身、怒ってる部分、不安がっている部分、自分や他者に憤っている部分がある。その時、その場で気持ちは揺れる。一人のときは、なおさら。様々な気持ちのバランスの取り方が難しいと、つくづく思う。怒っているだけ、不安がっているだけでは、生活していけないから。
そういう点から、この映画には物足りなさが残る。様々な事情を抱える家族の姿や放射能除染の現状について、じっくり丁寧に描かれている、と感じるからこそ。この監督の手腕なら、前面に押し出される怒りや不安の裏にあるもの、選択や決断の難しさ…なども、もっと掬いとれたのではないか。後半に至るにつれ、東電や政府の対応不手際に対する告発に傾いてしまったのは残念だ。

cma

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「飯舘村 放射能と帰村」2013年、
監督•製作•撮影•編集: 土井敏邦
整音: 藤口諒太
オフィシャルサイト
http://doi-toshikuni.net/j/iitate2/



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2013年06月11日

どこまでも清々しく、まっすぐに(原恵一監督「はじまりのみち」)

どこまでも清々しく、心に染みる。そんな作品に、久しぶりに出会った。遠州ことばが心地よく、海の青さと砂の白さがまぶしい。静岡へ、太平洋を見に行きたくなった。
シンプルでオーソドックス。澄み渡るように美しい物語の余韻に浸るうち、この作品の緻密さ、濃やかさに改めて感じ入る。病床の母をリヤカーに乗せ、黙々と50キロの山道を行く。波乱万丈とは程遠い、地味で辛い行路だ。しかし、そこで彼が見聞きしたあれこれは、全て「その後」の伏線であり、クライマックスで見事に骨太な物語へ収れんされていく。まさに、この旅が「はじまり」であったと分かるのだ。
とはいえ、本作は、木下惠介監督とその作品群をめぐる謎解きや知的ゲームではない。母子の情に浸るもよし、人生の岐路に立った若者の成長と再生を見守るもよし、映画史の一コマを生き生きと知るもよし。観る者をしばらず、懐深く、おおらかに味わい方をゆだねてくれる。
俳優陣のアンサンブルも素晴らしい。主役の2人は言うまでもなく、控えめだが存在感のある父•斉木しげるや、弟と外界をつなぐ兄•ユースケ•サンタマリアもなくてはならない役どころだ。そして何より、便利屋•濱田岳! 小柄な身体を生かしたコミカルな役を重ねるうち、いつの間にか彼は唯一無二の役者さんになっていた。彼あっての本作、と言いたい。「破れ太鼓」が観たくなった。

cma

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「はじまりのみち」2013年、日本
監督:原恵一
脚本:原恵一
撮影:池内義浩
照明:原由巳
美術:西村貴志
出演:加瀬亮、田中裕子、濱田岳、
ユースケ・サンタマリア、斉木しげる





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2013年06月05日

血塗られた心の闘いを、あくまで美しく可視化(パク・チャヌク監督「イノセント・ガーデン」)

昔話や児童文学を足がかりに、思春期について深い考察を残した臨床心理学の大家・河合隼雄氏がこの映画を観たならば、きっと拍手喝采したに違いない。静謐にして壮絶なクライマックスに引きずり込まれながら、ふとそんな考えが浮かんだ。
子どもが大人に、少女が女性となっていく思春期は、忘れっぽい大人が思うより遥かに過酷だ。「自分とは何者なのか」をめぐる、生きるか死ぬか、やるかやられるかの葛藤と闘いの日々。瀕死の傷を負っても、朝になれば傷はかりそめに癒え、闘いは終わらない。押しつぶされそうな怒涛の日々は続く。そんな時期を、本作はあくまで美しく、端正に描く。あれだけ人が死に、血しぶきがあがっても、死臭は漂わない。それは、巷の十代が今まさにあちこちで繰り広げている、目には見えない地獄絵図なのかもしれない。
18歳のヒロイン・インディアは、「自分は特別である」「自分はおかしい・異常なのかもしれない」という両極にして表裏一体の思いに囚われている。父を失い孤独を深める彼女の前に現れる、謎めいた叔父。果たして彼は、突破口であり救世主なのか?
互いに共通点を見出していく彼ら。絡みつくような連弾のシーンはぞくりとさせられる。そんな2人の決定的な違いは、危険な深みに留まるか、分け入りつつも駆け抜けようとするのか、ではないだろうか。彼は闇に潜り後継者を待ち望んだが、彼女はそれを望まなかったのだ。
父に教えられた狩りの手腕を携え、数多の障害をなぎ倒しながら疾走する彼女に、戦慄しながらも微かな希望を見た。

cma

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「イノセント・ガーデン」Stoker
、2013年、アメリカ
監督:パク・チャヌク
脚本:ウェントワース・ミラー
出演:ミア・ワシコウスカ、ニコール・キッドマン、マシュー・グード、ダーモット・マローニー、
ジャッキー・ウィーバー



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2013年05月24日

レモンがつなぐ、イタリアとデンマークの幸せな出会い(スザンネ?ビア監督「愛さえあれば」)

そういえば、数日前に観たのは「たとえば檸檬」だった。今日の本篇前の予告は「ローマでアモーレ」。レモンもイタリアも映画世界ではおなじみ。そんな素材をデンマークの俊英が掛け合わせ、ありそうでない、不思議な肌ざわりの物語を紡ぎ出した。
取り繕いの関係をやめて一人になり、孤独を受け入れる。スザンネ•ビア監督が、「しあわせな孤独」以来繰り返し描いてきたテーマだ。今回の舞台は結婚式。取り繕いの際たるものであり、結婚式に集まる家族のドタバタや軋轢を描いた作品は枚挙にいとまがない。同監督の「アフター•ウェディング」、近作では「アナザー•ハッピー•ディ ふぞろいな家族たち」、他にも「メランコリア」「レイチェルの結婚」「モンスーン•ウェディング」…。そんな中、本作が新鮮で成功しているのは、みるみるうちに輝いていくヒロインと、ビア監督作品の森に彷徨いこんできたピアース•ブロスナンの存在によるところが大きい。特にブロスナンは、尊大さと繊細さのさじ加減が絶妙。ぎすぎすしがちな物語に、あたたかみを添えてくれる。
一方、彼らを取り巻く人々は、相変わらずちょっとイタい。それでいて、愛おしい。何て身勝手でイヤな奴!つくづく困り者…と、ウンザリしたりあきれたりしながらも、「…とはいえ、自分も人のことは言えないか…」と、ドキリ、チクリと心が痛む。ビア監督作品の住人は、決して遠い存在ではない。むしろ、はっとするくらい近い。イヤな奴を演ってしまう彼•彼女にも事情はあるのかも、たまたま、そういう瞬間であり巡り合わせなのかも、そして、日常で出会う人々もまた…などと思いは広がり、気持ちが心地よくほぐれた。
それにしても、ヒロインが夫に作り続けていた「レモンプリン」はどんな味わいなのだろう? デンマークではおなじみのデザートなのだろうか。機会があったら、試してみたい。

cma

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「愛さえあれば」Den skaldede frisor、2012年、デンマーク
監督スサンネ・ビア
脚本アナス・トーマス・イェンセン
出演:ピアース・ブロスナン、
トリーネ・ディアホルム、
セバスチャン・イェセン
モリー・ブリキスト・エゲリンド
パプリカ・スティーン




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2013年05月13日

愚かさの意味(セドリック・カーン監督「よりよき人生」)

ああ、この物語はどこにたどり着くのだろう…。途中から、ハラハラというより暗澹たる気持ちになった。レストランの開業という夢の実現に燃える主人公は、あれよあれよと借金にまみれ、次々に拠りどころを失っていく。出口は見えない。後半で挽回し、鮮やかな逆転劇に持っていくには、あまりにハードルが高すぎる。彼にどんな悲劇が待っているのか。もしや、野たれ死にか。そんな気持ちが膨らみきったところで…鮮やかに裏切られた。そうくるか、というふんわりした幕切れ。思わず顔の筋肉が緩んだ。
彼と行動を共にする、9歳になる恋人の息子が、またいい。けなげでも賢くもない、むしろ愚かな子ども。生活苦を察していながら、クレープを食べたがったり、高い靴を万引きしたり。挙句に、生活費半月分の靴を買い取るハメになった男が、やっとの思いで整えた食事を、怒り任せにテーブルから払いのけてしまう。
そんな子どもを、男は放り出そうとしない。頑なに、繋いだ手を離さない。なぜそこまで…なんと愚かな! しかし次第に、揶揄のはずの「愚かさ」が、不思議なぬくもりと輝きを放ち出すのだ。
前進するはずの主人公は、結局は後退したのかもしれない。得るより多くを失い、取り返すことすらできていないのかもしれない。問題はまだまだ山積みだ。それでも彼は、物語のはじまりよりずっとしっかりと地に足をつけ、広がりある世界を捉えている。そんな物語を、私は好む。

cma

〜〜〜
「よりよき人生」:Une vie meilleure、2011年、フランス
監督:セドリック・カーン
脚本:セドリック・カーン、カトリーヌ・パイエ
出演:ギョーム・カネ、レイラ・ベクティ、スリマン・ケタビ、ブリジット・シィ
※第24回東京国際映画祭コンペティション部門出品(映画祭上映時タイトル「より良き人生」)
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2013年05月12日

予告編、面白い! それでいて本編はもと面白い〓 …という奇跡のような改作ドリュー・ゴダード監督「キャビン」)

いやー! 久々にいいもの観せていただきました。スゴイ、凄すぎ!この一言に尽きます。…ですが、少しばかり、蛇足を。
まず、予告編にやられました。これでもかこれでもか、の二段構え、三段構え。その日の本編以上に笑っちゃいました。(あれ、何を観に行ったんだっけ?)予告が面白いものは、得てして期待はずれ…というのがパターンですが、あまりに面白かったので、騙されてもいい、という前のめりな気持ちで劇場へ。実際、若干ネタバレな予告編なのですが…予告に負けない、いや凌駕してしまう本編。予告編のおかげで驚きも興奮も更に割増し、でした!
そして。あのリチャード•ジェンキンスが、またしてもいい仕事をしています。細腕をさらけ出し半袖ワイシャツで登場した時点で「!」。 シリアスもB級も分け隔てなく全力(いや、いつも余裕の八分目)な大ベテラン…さすがです。ますます彼が好きになりました。「扉を叩く人」以来、改めて惚れ込みました。
…あ、もちろん突然登場する「あの方」もさすが!です。
二本立てするなら迷わず「プロメテウス」ですね。(「宇宙人ポール」も、彼女繋がりかつ楽しげでよいですが)。時間とエネルギーを持て余すなら、是非ぜひ!

cma

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「キャビン」:The Cabin in the Woods、2012年、アメリカ
監督:ドリュー・ゴダード
脚本:ジョス・ウェドン、ドリュー・ゴダード
出演:クリステン・コノリー、クリス・ヘムズワース、アンナ・ハッチソン、フラン・クランツ、
ジェシー・ウィリアムズ、リチャード•ジェンキンス
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