2012年09月21日

説教する男は、かっこいい!(鈴木太一監督「くそガキの告白」)

冒頭から、いきなり持ってかれる。
「信二」も、「ベージュ」も、始まって間もなく、胸ぐらを掴まれるように映画の世界にぐいぐいっと引き込まれた。本作は、そんな威力に磨きがかかっている。「なんじゃあ、これは〜」と呟きたくても、そもそも息つく暇がない。
行き詰まると周りに当たり散らすばかりで、なかなか一歩を踏み出せない映画監督(未満)・大輔。そんなうじうじした男が主人公でも、物語はグダグダから程遠い。ラブストーリー、オカルトホラー、熱血青春もの…様々なジャンルをひょいひょいと跳び移りながら、エネルギッシュに駆け抜ける。
画面からはみ出るほどの迫力や強引さにうっかり見過ごしそうになるけれど、細かなところもスキがない。登場人物への想いと、映画への愛に満ちている。たとえば、「働け!」と母親が押し付ける求人誌には、ちゃんとふせんが貼ってある。お母さんはどんな思いで息子のために求人誌を読み込み、ふせんを貼ったのだろう…と想像はふくらむ。それから、桃子が大輔に振る舞う手料理・肉じゃが。「わあ、ありがち!」と思ったら…なぜか鍋ごと登場。ええ?という思いは、数分後にきっちりと、思わぬ方向で昇華される。思わずにんまりとした。
珠玉の3分11秒「ベージュ」でも感じたが、太一監督が描く、説教する男はなぜか不思議にかっこいい。私も説教されてみたい…なんて思ってしまう。うじうじうだうだしていたはずの大輔も、最後はキメる。彼は、様々な出来事を通していつしか成長していたのだろうか? …いや、これはきっと、成長だけではない。滅茶苦茶でも破れかぶれでも、伝えたいという一途な思いは人一倍、の大輔。きれいな言葉より、そんな必死さこそが「効く」、と改めて思った。自分はダメダメでも、大切な人には(自分のことを棚にあげて)真剣になれる。大切な人へのまっすぐな思いは、自分に対しても、まっすぐに向けられるはず。必死に紡ぎ出した言葉は、口にすることで自分にも響く。そうだ、自分だってまだまだ捨てたもんじゃない、と後押ししてくれるのだ。
人を励ますことで、自分も元気になる。文字にすると当たり前なことだけれど、日常の中ではなかなか実感しにくいことを、映画は確かな手応えとともに伝えてくれる。

(『信二』仙台短篇映画祭「新しい才能」公募選出作品
『ベージュ』オムニバス「311明日」(仙台短篇映画祭制作作品))

cma

〜〜〜
「くそガキの告白」:2011年、日本
監督・脚本:鈴木太一
プロデューサー:小林憲史撮影:福田陽平
照明:上村奈帆
録音:成ヶ澤玲
美術:寺尾淳
衣装:袴田知世枝
音楽:佐藤和郎、八澤勉
出演:今野浩喜、田代さやか、辻岡正人、今井りか、仲川遥香


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2012年09月17日

人生という物語を引き受ける覚悟(夢売るふたり)

読後感ならぬ観後感の悪さなら、西川作品の右に出るものはまずない。中でも、本作はピカイチ。「もやもや」どころか「どす黒い」。土と水のはずなのに、洗っても洗っても落ちない、まっ黒な泥を思わせる。穏やかな秋晴れの日に観たものの、帰り道はそんな現実が余りに遠く思えた。
とにかく、妻・里子を演じる松たか子が凄い。火攻め・水攻めだけでも凄いが、鮮やかな足さばきまで飛び出し、ゾクッとする。終盤に至っては、八百屋お七が登りつめて火で狂ったように、里子は水に狂い、泥にまみれて一瞬のうちに落下する。
夫婦を取り巻く人々が(物語への必要性はさておき)ぞくぞくと登場する中、鈴木沙羽は一番の「いい役どころ」かもしれない。酸いも甘いも噛み分けた大人として、夢売るふたりとこの物語に、あたたかな光を投げ掛ける。一方、田中麗奈が演じる女は、ありがちな位置づけで薄っぺらく、少々もったいない気がした。
そして、この映画の隠れた主役は、自転車だと思う。正確に言えば、自転車の二人乗り。それは、まっすぐで儚い「幸せ」の象徴だ。本当のところ、二人乗りは、さほど便利でも快適でもない。そもそも法律では禁じられており、堂々とはできないこと。(交番に近づくと、ぱっと飛び降りる里子がいじらしい。)それでも、身体を寄せあい、よたよたと進む自転車は、確かで満ち足りたぬくもりがある。不倫相手、若い夫婦、たまたま知り合った男女、親子…そして、自分の記憶の中の二人乗り。もう、私は二人乗りすることはないかもしれないな。ふと、そんなことまで思った。
個人的に惜しい気がするのは、時に饒舌過ぎるセリフが入るところだ。所作や視線、表情のみで語られるシーンが圧倒的に素晴らしいだけに、残念。特に複数のシーンに連なるモノローグは、画とのバランスを欠くように感じた。言葉に頼らずとも、映像だけで十分に語り尽くせたのではないだろうか。
また、観る者によって感じ方は極端に異なりそうだが、私には、監督の同性=女たちへの視線が、得てして(男たちへ以上に)やさしく、ともすると甘く映った。深追いしたら、もっとどす黒く、救いのない物語になったはず。そこが覚悟の足りなさ、という気がする。すっきりしない、とらえどころがない結末は、西川作品の持ち味のひとつだろう。とはいえ、作り手・語り手として、もう少し物語を引き受ける気概がほしい。作り手が、あるひとつの結末を提示したとしても、受け手が得る、他の可能性への創造力は奪われないはず。そんな豊かさを秘めた物語だと思う。

cma

〜〜〜
「夢売るふたり」2012年、日本
監督・原案・脚本:西川美和
出演:松たか子、阿部サダヲ、田中麗奈、鈴木砂羽、安藤玉恵
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2012年08月24日

共犯者に、救いはいらない(リン・ラムジー監督「少年は残酷な弓を射る」)

冒頭から、否応なしに引き込まれる。
赤と白がごちゃ混ぜになった異様な世界。カメラはゆっくりと混沌に近寄っていく。蠢く白いものは肉の塊…ではなく、半裸の老若男女だ。では赤は?彼らは血まみれで苦悶しているのか?…と思いきや。様々な顔がクローズアップされ、彼らは狂乱し、恍惚としていると分かる。どうやら、スペイン・バレンシア地方の収穫祭、トマト祭りのひとこまらしい。群集の中には、一際この刹那を謳歌していヒロイン・エヴァがいる。これが人生の絶頂期であると、当時の彼女は知るよしもない。
原作は上下2巻でかなりのボリューム。それを無理なく2時間に収めており、監督との好相性もあって、幸運な映画化と言える。一方で、物足りなさも残る。特に、父親の存在。原作では、子煩悩な自分に酔い、妻も子も理解しようとせずに溝を深める典型的にダメな父親だった。そんなつまらない分かりやすさが排除されている点はいいが、もう一声、と欲を言いたくなる。せっかく曲者俳優ジョン・C・ライリーを起用しているのだから、存在が薄いだけではない父親として、物語に波紋を投げ掛けてほしかった。
自転車に乗れるようになったり友達になったりするのと違って、親になるには意識的なものが必要だ。言葉を発しない、なぜ泣くのかわからない幼子を相手にするには、いつもいつも自然体、ではもたない。(むしろ、テンション高め、がちょうどよい。)そして、親子は互いを選べない。自分でよいのだろうか、という不安や恐れは、頭の隅にいつもある。気持ちが揺れているときに子に話しかけると、素っ気なくすれば悪い親、優しくしても「よい親」を演じているような居心地の悪さを感じてしまう。そんな後ろ暗い気持ちまで、子は察しているのではないか、と思うとさらにやりきれない。わかっているよ、それでもいいよ、とでもいうように、健気な笑顔を見せられると、なおのこと。
そんな「演技」を拒んだエヴァとケヴィン。相反し、青い火花を散らしながらも共犯者的な関係を深めていく。そんな緊張感が、ラストで一気にほぐれるのは、個人的には残念だ。最後まで彼らを・観る者を突き放し、淡々と語り抜くのが、この物語にふさわしかったのではないか。エヴァほどではないにせよ、語り始めた以上、観る者に対しても刃を突き立てる気概がほしかった。
また、高校での惨劇にまつわる日本語字幕にも、若干の疑問がある。大写しになる体育館のドアに手書きの貼り紙があり、「individual」にアンダーラインが引かれている。これは、ケヴィンが「個性的・特殊な能力に秀でた生徒を表彰するための最終選考会」として被害者たちを誘き出したことを示していると思われる。貼り紙の内容を字幕で示せば、彼が無差別殺人をしたのではないと伝わったはずだ。
さらに、ふと思ったこと。日本でリメイクするなら、迷わずケヴィンは染谷将太。不敵さはもちろん、黒目部分の多さも通じるものがある。ティルダ・スウィントンに匹敵する、絶叫や激情に流れない母親は…たとえば、黒木瞳か。ちょっと、いや是非とも観てみたい。他人事で終わらせるには、この物語はあまりにも生々しく、痛々しいのだから。

cma
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「少年は残酷な弓を射る」:We Need to Talk About Kevin、2011年、イギリス
監督:リン・ラムジー
原作:ライオネル・シュライバー
音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:ティルダ・スウィントン、ジョン・C・ライリー、エズラ・ミラー
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2012年08月14日

片想いから、醒めるとき(塚本監督の「鉄男」が効いてます!)(吉田大八監督「桐島、部活やめるってよ」)

観終わってもなお、(予想通り)謎は残る。ホラーではないので、桐島は出てこない。桐島とは、一体どんな人物?ということをさておいても。
バドミントン部のエースは、なぜチャラけた帰宅部と付き合っているのか。野球部に籍を置きつつ帰宅部とつるむ彼は、なぜ性格悪のケバい彼女と付き合っているのか。…いや、実は彼らは付き合っていないのかもしれない。交際はチャラ男とケバ子の思い込みに過ぎず、エースは「面倒だから」、(野球部)は踏み出せないから、だらだらと相手に合わせているだけ、なのかもしれない。
そこまで考え、はたと気づいた。彼らは皆、片想い=思い込みの壮大なループの中にいる。自分の望みはおおむね満たされている、特段の不満はない、…はず。そんな一見整った世界が、桐島の不在で歪み、崩れ始めた。
「自分は所詮、この程度」「私は、アイツらとは違う」「自分には、やるべきことがある」…。「〜にきまっている」「〜しなければならない」は、日々の迷いを減らしてくれるが、思考停止に繋がり、自分の行動範囲を狭めてしまう。(毎日着るものに悩まなくていい制服が、気楽ながら煩わしいのと似ている。)当たり前と思っていたあれこれは、本当にその通りなのか? 見たいものだけを見ていないか? 幻想が崩れ、傷を負うのを恐れず、今に疑問を持ち、見ないふりをやめることが、「一歩踏み出す」ことにつながる。…とはいえ、繰り返される日常の中でそこに辿り着くのは、なかなか容易ではない。
塚本晋也監督の「鉄男」の使い方が効いている。映画部の彼は、モール内のシネコンで思いがけない出会いをする。二人が観ていたのが「鉄男」、というだけでもニヤリだが、敢えてあのシーンを切り取るとは! そんな彼が傾倒するゾンビ映画が、白人社会のマイノリティー差別(迫害)を暗喩していたことは、いまや自明のこと。ゾンビや近未来SFの自主映画制作が、作り手の想いを映し出す点は、「虹の女神」を思い起こさせる。にしても、本作中映画のハイライトは凄みがある。ここに辿り着いてよかった、という気にさせてくれた。一方、前半で延々と繰り返される「金曜日」のリフレーミングは、少々くどい。群像劇を盛り上げるため必要とわかっていても、焦らすのを通り越し、物語が必要以上にもたつく気がした。切り取り方を工夫すれば、一、二回は減らせたのではないか、と今でも思う。
殺伐とした物語に、前に踏み出し続ける野球部部長の佇まいと、踏み出しかけた映画部の遠慮がちな笑顔が、一筋の風を吹き込んでくれる。カッコ悪いことは、かっこいい。文字にすると、とたんに野暮になるけれど。

cma
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「桐島、部活やめるってよ」:2012年、日本
監督、脚本(共同):吉田大八
原作:朝井リョウ
主題歌:高橋優
出演:神木隆之介、橋本愛、大後寿々花、前野朋哉、岩井秀人
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2012年08月05日

裏打ちのない前向きさを保つには(または、語り手「僕」は誰?) (監督:梅村太郎、塚原一成「ガレキとラジオ」)

※※※今月末からMOVIX仙台とMOVIX利府で上映されるドキュメンタリー「ガレキとラジオ」、一足お先に観て参りました。
以下、速報レビューです。皆さまも、ぜひ劇場へ(^^)※※※


ガレキとラジオ。韻を踏んでいるわけではありませんが、なかなか語呂がいいです。けれどもこの映画、ガレキ撤去の話でも、ラジオ番組の話でもありません。あえて言えば、南三陸町に住む人々、一年間のスケッチ(実際には、ラジオ局が開設されていたのは5月からの十ヶ月。)。確かにラジオ局の人々が登場しますが、彼らは、記者、アナウンサー、ミキサー…という以前に、「町での暮らしを続けようとする、ごく普通の人々」でした。
映画の中では、大事件が勃発したり壮大なプロジェクトが展開したりすることはなく、むしろ淡々と日々は過ぎます。働き、家に帰り、食事をする。ときには喜び、驚き、泣き、笑う。(そんな当たり前の生活も、3月4月はままならなかったわけですが…。)描かれるのは、津波が奪った様々なものと、津波からのそれぞれの歩み。端的に言えば、震災後、繰り返し報じられてきた様々なエピソードから、大きくかけ離れたものはありません。けれども、そんなところが温かみとなり、無用な心のささくれは増えないだろうと安心感を持てました。
ごく個人的な問題(もしくは感傷)ですが、あれから一年の経過を待つようにして、関連の本や映画が大放出されている現状に、複雑な気持ちを抱いています。目にすると手に取り、観てみずにはいられないのですが、読むと、観ると、違和感が残るのです。そこに示されているものは一局面に過ぎないとわかっているのに、自分まで束ねられて枠にはめられたようなもどかしさを感じ、うまく距離を置けない自分に戸惑います。(「ダークナイト ライジング」さえも、隔絶されていた震災後の一ヶ月弱の日々が思い出され、生々しさを感じました。)そんな中、声高な告発や熱烈な力こぶしのない本作は、気負わず素直に、ゆったりとした気持ちで観入ることができたのです。
当時は、いかに裏打ちのない前向きさが巷に溢れていたか(言い換えれば、いかに求め、必要とされていたか)を改めて感じました。失ったものに目を向ければきりがなく、先行きは見えない。それでも日々を積み上げていくには、「やるしかない」「きっとなんとかなる」という思いが必要でした。とはいえ、こぶしを振り上げ、気合いを入れて…などという頑張りはとても続きません。「大したことないんだ、だからなんとかなるんだ」と思い込むには、どこかへらへらと脱力した、いい加減さと紙一重のような適当さが必要だった気がします。情けなくて笑うしかない、開き直りにも似た気持ち。そんなことをふと、思い出しました。
ところで、終始ひっかかったのは、本作の語り手「僕」はいったい誰なんだろう?という点です。ラジオ局のメンバー?作り手である監督?リスナー代表?…いずれも、どうもしっくりこない…。
観終わった直後に、はっとしました。「僕」は、ガレキから拾い上げられ再利用された、ラジオ局のパイプ椅子では?と。なるほど、それなら「ガレキとラジオ」、ぴったりです。役所広司のゆったりとした語りは、人間を越えていましたし。…ですよね?

cma

〜〜〜
「ガレキとラジオ」2012年、日本
監督:梅村太郎、塚原一成
撮影:乾雅人
編集:田嶌直子
音楽:内山肇
ナレーション:役所広司
主題歌:MONKEY MAJIK
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2012年07月27日

塩吹き黒Tシャツの説得力(山下敦弘監督「苦役列車」)

のっけから、昭和の匂い。主人公の登場を待つくすんだ町の情景に、素っ気なくクレジットがかぶる。ああ、かつての邦画やテレビドラマのつくりってこうだったな、と思う。その時は最新だったはずのあれこれは、数年たつとあっさり色あせ、古ぼける。そうなると見向きもされない。けれども十年も経てば、「あの頃」を思い出させてくれ懐かしいと再びもてはやされる。…それって、あまりにも安直すぎないか?本当のところ、中身はどうなんだ?と感じることがしばしばある。
本作も、舞台は「かつて」の80年代。主人公・貫太の友人・正二のラガーシャツやスポーツバック、康子のふわふわしたセーターやロングスカートは、確かに当時を彷彿とさせる。
ところが、どうだ。貫太は「今」そのものを生きている。そこらにぬぼーっと立っていそうな存在。きっと、いつ観ても「今」を感じさせるだろう。わしわしと白飯をかきこみ、重い袋を持ち上げる。何より衝撃を受けたのは、彼の黒いTシャツについた白い汚れ。壁でもこすったのか?…と頭をめぐらし、はっとした。白いものは、彼の汗をが乾いてできた塩だ!
汗が塩になるには、汗が乾かない状態が必須。それには、ひっきりなしに汗水流すだけでは足りない。汗を受け止めきれない、吸水が悪く乾きにくい安っぽい布地(最近のドライ機能つき特殊素材ならば起こり得ない!)の服も条件になる。そしてもちろん、貫太は、ろくに洗濯せず、何日も着続け、日々塩を量産しているのだろう。
ダメダメ男の物語をどう結末付けるのか…が途中から気になったが、期待は最後まで裏切られなかった。ドスン!と豪快で軽やかな落下。小説と異なる、映画ならではの幕切れ。鮮やかこの上なかった。
貫太は、今も相変わらず、そこいらをうろついているはず。でもそれは、「一見」に過ぎないのかもしれない。変化は、じわじわと、ある日突然やってくる。

cma

〜〜〜
「苦役列車」:2012年、日本
監督:山下敦弘
原作:西村賢太
脚本:いまおかしんじ
音楽:SHINCO
挿入歌:マキタスポーツ
主題歌:ドレスコーズ
出演:森山未來、高良健吾、前田敦子、マキタスポーツ、田口トモロヲ
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2012年07月24日

育児と映画13〜日常のきらめきを、アニメがみずみずしく蘇らせる(細田守監督「おおかみこどもの雨と雪」)

細田監督の空は、どこまでも青い。緑は瑞々しく、水は眩しいほどにつややかだ。そんな世界を、おおかみこどもの「雨」と「雪」、そしてにんげんの母親「花」が思う存分駆け回り、きらきらと生命力を放つ。
育児中の身には、この物語は一際しみる。にんげんのこどもも、暴れっぷり・散らかしっぷりはおおかみこども並み。居たたまれないほどの泣きわめき声も、胸がきゅんとなる玉のような大粒の涙も、安心を求めすり寄ってくるときの愛くるしさも。…見覚えのある情景が、次々に描き出される。ああ、そうそう、確かにそうだ、そうだった。…と、日常過ぎるあれこれを、アニメを通して新鮮に実感することができた。
男の子の母親として特に印象深かったのは、あるきっかけから急激に変化していく雨の物語。実体験のない異性の成長は、心身ともに不思議なことだらけ。親とはいえ、ちょっと不安でもある。子であっても、所詮は他人、自分とは別の存在。いつかは親ばなれする、してもらわないと困る…と思いつつも、「その日」が来るのが少しさみしくもある。
花が子連れで働き始めた自然観察センターで、幾度となく並んで佇む花と雨。母にくっつくようにしていた雨の視線は次第に深く、遠くなっていき、彼ひとりの行動が増えていく。ちなみに、私は息子をたいてい前向きに抱っこする。前向きでスタスタ・てくてくと公園を散歩し、買い物をする。同じ向きで歩けば、同じ景色が目の前に広がる。けれど、同じものを見ているとは限らない。ときどき、ジーッと真顔になる息子に気づき、何を見つけたんだろう?何を思っているんだろう?と首をひねることがある。言葉を発する前から、すでに彼独自の世界がかたちづくられているんだなあ…と頼もしく、それでいて取り残されたような気持ちになる。すると、今度は急に振り向きニッコリされ、何にもかえがたい至福をふいに感じるのだ。
何はともあれ、今を大切に、日々を丁寧に過ごそう。そう素直に感じさせてもらった。

〜〜〜
「おおかみこどもの雨と雪」2012年、日本
監督・原作:細田守
脚本:奥寺佐渡子、細田守
キャラクターデザイン:貞本義行
音楽:高木正勝
主題歌:アン・サリー、高木正勝
アニメーション制作:スタジオ地図
プロダクション協力:マッドハウス
出演(声):宮崎あおい、大沢たかお、黒木華、西井幸人、大野百花
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2012年07月10日

ラッパーの旅は続く(入江悠監督「SR3サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」)

これで終わりじゃないだろ!
画面が暗転しエンドロールが流れた瞬間、切実にそう感じた。このシリーズ、ここで終われない。終わってもらっては困る。3本目にして、すっかりSRクルーに取り込まれてしまったようだ。
パッとしない主人公(たち)が、周りからバカにされながらも、本人たちなりに楽しく一生懸命に、時には困難にぶち当たりながら日々を過ごす。物語として、とてもなじみやすい設定だ。私たちは、彼らに自分や身近な人を重ね、「バカだなあ」と笑ったり、「そうだ、いけ!」と喝采したり、「明日から自分もがんばろう」と励みを受ける。
…しかし。物語と違い、人生は幕切れがなく、毎日毎日続いていく。山場も結末も見えないままに。そんな日々の傍らに、続いていく物語がある、というのは得難いことだと思う。
今回のSRは、音楽で一旗揚げると上京したマイティーパート=続けることの息苦しさと、サイタマに残ったイックとトムパート=続けることの楽しさがくっきりと対を成す。映画全体が、ラップバトルのように、相対するリズムを刻み、メッセージを放つ。長回しされる雨の中の逃亡シーンは、雨の冷たさや足の重たさが体感され、ぞくぞくした。数ある映画の中でも、特筆すべき逃亡シーンと言える。何と痛々しく、切実な逃亡だろう。一方、相変わらずのサイタマの二人「SHO-GUNG」は、栃木でラッパー仲間「征夷大将軍」と出会い、将軍つながりで意気投合し、気勢を上げる。彼らのラップは、回を重ねるごとに明らかにレベルアップしている。「1」の会議室ではやぶれかぶれに牙を剥いたが、今回は余裕さえ感じられ、痛々しい以上に爽快だった。
このシリーズのポイントは、サイタマ、「2」の群馬、今回の栃木…という場の設定にもあると思う。カッコ悪く生き生きとした青春映画に、北関東の空気はよく似合う。近くて遠い(日帰りできても終電時刻は油断ならない距離)都会への憧れとおそれ。地方出身であることの気後れと、根っこがあることへの秘かなプライド。その入り雑じり方が絶妙だ。乾いた空気とぽっかりした空。その下に広がる畑と立ち並ぶ平屋の量販店。何にもないのか、何でもありなのか。どっちつかずで中途半端。それでいて・だからこそ、先の読めない面白さが隠れている。だいたい、マイティーを強いたげる東京のラップグループ「極悪鳥」も、実は中野区鷺ノ宮出身。都内とはいえ都会とは言い難い地域出であるところが、彼らの矮小さを引き立てていて可笑しい。(都会ではない都内都市は確かに終電が遅い。けれども、それは私鉄の企業努力に過ぎない。…私鉄が通っていないのが田舎の証拠、と負け惜しみが聞こえそうだが。)
すべてが絡まりうねりを生む祭の夜、そして祭のあとに繰り広げられる、観客のいないラップバトル。…つくづく、映画と音楽の底力を、肌で痛いほどに感じられる快作だ。入江監督の貯金を切り崩し、実家に合宿して完成させたインディペンデントの真骨頂は、「やりたいことをやる」という潔さと力強さに溢れている。泥臭くカッコ悪いSR魂は、大量に垂れ流されるハデでキレイな「話題の超大作」群を凌駕し、寄せ付けない。
エンドロールのバックに映し出される彼らのソウルフード・ブロ(ッコリー)の瑞々しさに癒されつつも…望む、続篇!

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「SR3サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」2012年、日本
監督・脚本、編集:入江悠撮影:三村和弘
音楽:岩崎太整
出演:奥野瑛太、駒木根隆介、水澤紳吾、北村昭博、永澤俊矢、美保純

〜〜〜
※仙台では、七夕7日よりチネ・ラヴィータで公開となった「SR3」。初日舞台あいさつによると、「1」の会議室シーン、実は仙台短篇映画祭企画上映会での入江監督自身の体験がベース…だそうです。あわわ。そんな体験を乗り越え、映画祭の宣伝もしていただき感謝です。
皆さん、ぜひお見逃しなく! 雨をはねのけ、劇場へ走れ!

cma
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2012年07月09日

ラッパーの旅は続く(入江悠監督「SR3サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」)

これで終わりじゃないだろ!
画面が暗転しエンドロールが流れた瞬間、切実にそう感じた。このシリーズ、ここで終われない。終わってもらっては困る。3本目にして、すっかりSRクルーに取り込まれてしまったようだ。
パッとしない主人公(たち)が、周りからバカにされながらも、本人たちなりに楽しく一生懸命に、時には困難にぶち当たりながら日々を過ごす。物語として、とてもなじみやすい設定だ。私たちは、彼らに自分や身近な人を重ね、「バカだなあ」と笑ったり、「そうだ、いけ!」と喝采したり、「明日から自分もがんばろう」と励みを受ける。
…しかし。物語と違い、人生は幕切れがなく、毎日毎日続いていく。山場も結末も見えないままに。そんな日々の傍らに、続いていく物語がある、というのは得難いことだと思う。
今回のSRは、音楽で一旗揚げると上京したマイティーパート=続けることの息苦しさと、サイタマに残ったイックとトムパート=続けることの楽しさがくっきりと対を成す。映画全体が、ラップバトルのように、相対するリズムを刻み、メッセージを放つ。長回しされる雨の中の逃亡シーンは、雨の冷たさや足の重たさが体感され、ぞくぞくした。数ある映画の中でも、特筆すべき逃亡シーンと言える。何と痛々しく、切実な逃亡だろう。一方、相変わらずのサイタマの二人「SHO-GUNG」は、栃木でラッパー仲間「征夷大将軍」と出会い、将軍つながりで意気投合し、気勢を上げる。彼らのラップは、回を重ねるごとに明らかにレベルアップしている。「1」の会議室ではやぶれかぶれに牙を剥いたが、今回は余裕さえ感じられ、痛々しい以上に爽快だった。
このシリーズのポイントは、サイタマ、「2」の群馬、今回の栃木…という場の設定にもあると思う。カッコ悪く生き生きとした青春映画に、北関東の空気はよく似合う。近くて遠い(日帰りできても終電時刻は油断ならない距離)都会への憧れとおそれ。地方出身であることの気後れと、根っこがあることへの秘かなプライド。その入り雑じり方が絶妙だ。乾いた空気とぽっかりした空。その下に広がる畑と立ち並ぶ平屋の量販店。何にもないのか、何でもありなのか。どっちつかずで中途半端。それでいて・だからこそ、先の読めない面白さが隠れている。だいたい、マイティーを強いたげる東京のラップグループ「極悪鳥」も、実は中野区鷺ノ宮出身。都内とはいえ都会とは言い難い地域出であるところが、彼らの矮小さを引き立てていて可笑しい。(都会ではない都内都市は確かに終電が遅い。けれども、それは私鉄の企業努力に過ぎない。…私鉄が通っていないのが田舎の証拠、と負け惜しみが聞こえそうだが。)
すべてが絡まりうねりを生む祭の夜、そして祭のあとに繰り広げられる、観客のいないラップバトル。…つくづく、映画と音楽の底力を、肌で痛いほどに感じられる快作だ。入江監督の貯金を切り崩し、実家に合宿して完成させたインディペンデントの真骨頂は、「やりたいことをやる」という潔さと力強さに溢れている。泥臭くカッコ悪いSR魂は、大量に垂れ流されるハデでキレイな「話題の超大作」群を凌駕し、寄せ付けない。
エンドロールのバックに映し出される彼らのソウルフード・ブロ(ッコリー)の瑞々しさに癒されつつも…望む、続篇!

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「SR3サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」2012年、日本
監督・脚本、編集:入江悠撮影:三村和弘
音楽:岩崎太整
出演:奥野瑛太、駒木根隆介、水澤紳吾、北村昭博、永澤俊矢、美保純
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2012年06月25日

みどころ・つっこみどころいっぱいの王道B級ニコケイ映画!(ロジャー・ドナルドソン監督「ハングリー・ラビット」)

ニコケイが、またやってくれました。今回は、細い銀縁メガネでシェイクスピアを熱く語る高校教師。広くなった額にシワを寄せ、苦悩する姿が何とも…ヒーローでも凡人でもなく、やっぱりニコケイそのもの、なのでした。
妻が暴行され、私的制裁組織に巻き込まれていくまじめな高校教師・ニコケイ。冒頭からいきなり始まる殺人の連鎖は、あれよあれよと大暴走へ。代理殺人の実行者たちは、組織側が告げる相手の素性を鵜呑みにしていたようですが、せめて知的な(はずの)ニコケイには、相手のことを自力でリサーチしてほしかったです。もちろん、行動の前に!
そんなニコケイはおろか、組織も意外にスキだらけ。とはいえ、なかなか全貌が見えず、身近なあの人や目の前のこの人も実は組織の人間か、という薄気味の悪さがじわじわと…。折しも、関係者が次々と逮捕されたオウム事件が連想されましたす。嘘っぽさ・薄っぺらさがかえって生々しく、あっさり笑い飛ばせない怖さ・重さがあります。
同じ私的制裁でも、「ブレイブ・ワン」のジョディ・フォスターのような悲壮感やストイックさがあまり感じられず、様々な立場の人々がうごめきドタバタと展開します。その分、私的制裁や暴力についてざっくばらんに語り合うには、意外に良い映画かもしれません。たとえば、ニコケイの教え子のような若者たちに「この物語で一番の悪いのは誰と誰だと思う?」「どうすればトラブルは避けられた?」などと尋ねたら、様々な答えが飛び出しそうです。ニコケイが妻に高価なネックレスを贈らなければよかった、なんて答えもあるかも。
また、この映画は、様々な作品との二本立てが楽しめそうな点も魅力です。ぱっと浮かんだのは…。
1 代理殺人・東西対決
(廃墟となったモールでの激闘は、香港映画を思わせました。):本作&「アクシデント」
2 アジアンテイスト・ニコケイ二連発:本作&「バンコック・デンジャラス」(リメイクではなく、アジア映画の中でニコケイを観てみたい気もします。案外しっくりはまりそうな…。)
3 ニコケイ私的制裁二連発:本作&「キック・アス」(裏テーマは、カッコ悪&かっこよすぎニコケイ!)
…そして、なるほど!とうならされた同行者の発案は、
4 私的制裁・(一応)法的制裁対決inニューオーリンズ二連発:本作&「ニューオーリンズ・トライアル」!(裏テーマは、「ニューオーリンズって、ホントにそんな街?」)
…本作だけでもかなりニューオーリンズのイメージが歪むような気がしますが、ニューオーリンズの方々はこういった映画に文句を言わないのでしょうか? 日本の某都心だったら、絶対一悶着ありそうな気がしますが…。
…と、つっこみつつも楽しくなる、王道B級映画でした。連想妄想が際限なく広がるこういう作品、けっこう好きです!

長い蛇足:ちなみに、この手の映画には珍しく、原題よりもカタカナ邦題が断然ぴったりでした。「ウサギ」は、なぜか謎めいたものを連想させます。不思議な国のアリスのせいでしょうか? いやいや、映画の世界で「ウサギ」と言えば…。あの「ドニー・ダーコ」の銀色ウサギに、久しぶりに会いたくなりました。第5案:「ウサギ二連発」も良いですね。

cma
〜〜〜
「ハングリー・ラビット」:Seeking Justice、2011年、アメリカ
監督:ロジャー・ドナルドソン
製作:トビー・マグワイア、ラム・バーグマン、ジェームズ・D・スターン
脚本:ロバート・タネン、ユーリー・ゼルツァー
出演:ニコラス・ケイジ、ジャニュアリー・ジョーンズ、ガイ・ピアース、ハロルド・ペリノー、ジェニファー・カーペンター
posted by staff at 08:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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